柴田和宏さん(苫小牧市出身)が現地リポート 快適な室内で北海道の生活とほぼ同じ、 調理師同行で食事も充実

  • 南極から, 特集
  • 2021年4月19日
基地主要部の建物群。ここで越冬隊は生活をしている(柴田隊員撮影)
基地主要部の建物群。ここで越冬隊は生活をしている(柴田隊員撮影)
居室。越冬隊員が使用している個室(柴田隊員撮影)
居室。越冬隊員が使用している個室(柴田隊員撮影)
ある日の夕食(柴田隊員撮影)
ある日の夕食(柴田隊員撮影)

  第62次南極地域観測(2020年11月~2022年3月)の越冬隊員を務める苫小牧市澄川町の元小学校教員柴田和宏さん(46)=一般研究観測=と、安平町の元航空自衛隊員久保木学さん(55)=野外観測支援=が苫小牧民報に現地の様子を伝えるリポートを寄せてくれることになった。まずは柴田さんから昭和基地での暮らしをつづった文と写真が届いた。(随時掲載)

   私が暮らすのは南極・昭和基地。20年12月19日から基地での暮らしが始まり、早くも4カ月がたとうとしています。日本にいる皆さんは、昭和基地での暮らしをどのようなものだと想像するでしょうか。

   極寒の地で凍えるように暮らす私たちを想像するかもしれません。テント生活かな?食事は文字通り冷凍食品かな?なんて、いろんなイメージがあることでしょう。実際、私が教員をしていた時は、子どもたちに「先生、南極に建物はあるの?アザラシとか捕まえて食べるの?」なんて聞かれることがたびたびありました。そこで何回かに分けて私たちの南極生活を紹介していきます。第1回目は、住居と食事の話から。

   北海道で暮らしていたころ、家では冬でもTシャツ短パンで過ごしていました。南極はというと、北海道で暮らしていたころとほぼ同じです。越冬隊員には個室が与えられますが、私が使用している居室は築24年の建物。窓は「はめ殺し」の2重窓で開けることはできません。窓を開けられないことに不便を感じることもありますが、猛吹雪の時に雪が吹き込んでくる可能性を考えると、開けられなくても文句は言えません。

   床には床暖房が入っています。ここ最近は氷点下25度を下回る日も出てきており、さすがにTシャツ短パンで過ごすには肌寒くなってきましたが、寒さに震えることはありません。ただ、「朝起きたら口の周りの毛布が凍っていた」という話を越冬経験者から聞いているので、これからどうなるかは心配です。ちなみに部屋の壁は薄く、近隣の居住者がくしゃみをすると、誰がどこでくしゃみをしたかが分かりますし、カーテンを開ける音も聞こえるので、早起きした時には少々気を遣います。

   昭和基地での食生活は非常に恵まれています。越冬隊には調理隊員が2人います。どちらも調理師として腕を振るってきた人たちです。2人が作る料理にはいつも「こんな組み合わせがあるの?」「これはなんていう料理?」と、目も舌も楽しませてもらっています。まるで毎食ホテルの食事を頂いているようです。朝には焼きたてのパン。昼と夜には必ずと言っていいほど4品以上のおかずが付いてきます。ついつい食べ過ぎてしまい、31人の隊員ほぼ全員が体重増加中です。

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