こころのいとは見えなくてもちゃんとあります。なぜなら会っていなくてもつながっていると感じるからです。
わたしと妹たちもこころのいとがつながっていると思います。わたしたち三姉妹の名前には糸へんの漢字が入っています。それは見えるいとです。お父さんお母さんが三人でいつまでもなかよしでいられますようにと名づけてくれました。その話を聞いて、わたしたちのことを考えて名づけてくれたことがとてもうれしかったです。けれど妹たちはふた子なのでとくべつな強いいとでつながっているかもしれません。二人は同じタイミングで歌い出したり、同じかっこうでねていたりします。わたしもふたごだったらなとうらやましく思います。
「でも、めにみえなきゃつながっているかわからないよ」とリサは言っています。わたしもはじめはそう思いました。こころのいとってどういういとか考えました。目には見えないけれど、明るい色でふわふわな手ざわりで、やさしいかおりがしそうです。大すきという気もちや、しあわせな気もちでできたいとだと思います。そして、こころのいとはどうつながるのかも考えました。おべん強やならいごとで「よくがんばったね」とお母さんがほめてくれたとき、毎ばんねる前に「大すきだよ」と言ってほほにキスしてくれるとき、お友だちが「ずっといっしょにいようね。ずっとお友だちでいようね」と言ってくれたとき、こころのいとがつながっていると感じました。自分の気もちを伝えたほうが、よりこころのいとがつながっていくと思います。わたしは「大すき」という言葉はこころのいとをつなぐまほうの言葉だと思います。
リサとジャーミーは世界中のみんながつながっていくゆめを見ました。そのゆめはわたしのゆめでもあります。大切な人たちに「大すき」をたく山伝えて、たく山のこころのいとをどこまでものばしてつなげたいです。