東京五輪の聖火リレーが25日、スタートを切った。福島県のサッカー施設から約1万人のランナーが4カ月間をかけて聖火をつなぐ。北海道は6月13日に入り、その日は白老町でフィナーレ。14日は苫小牧市がスタート地になる。
これで五輪の機運が一気に高まるのだろうか。現状では、とてもそんな雰囲気すら感じない。五輪の開催可否を問うさまざまな調査では、懐疑的な答えが多いという。新型コロナウイルスの感染防止の見通しは不透明で、ワクチン接種率も日本は先進国で下位を走る。
それでも開催へかじは切られている。五輪を目指してきたアスリートが、世界の舞台で躍動する姿は見たい。日本代表がメダルを獲得すれば大きな感動を与えてくれる。それは他の国際大会とは違う種類の感覚。五輪の価値が心を躍らせてくれるのか。
その価値が揺らぎ始めているのが残念でならない。そもそも東京大会は「復興五輪」が目的だった。東日本大震災から復興した姿を世界中に発信するはずだった。今では「復興」はどこかに消え、いつの間にか目的はコロナを克服した証しに変遷した。
商業主義を優先し、政治のにおいがぷんぷんする五輪開催をめぐる動き。アスリートが純粋に力を発揮できる舞台を整えられないのなら、立ち止まって開催可否を議論すべきではないか。歴史に禍根を残すような祭典にはしてほしくない。(昭)