苫小牧市立中央図書館に、王子イーグルスの昭和初期の指導・戦術書「Technic of Ice Hockey(アイスホッケーのテクニック)」が保存されていたのを、苫小牧の歴史や自然にまつわる出版を手掛ける一耕社が見つけた。チーム創設者の一人であった戸巻運吉氏の手作りのこのノートとその周辺から、イーグルスと氷都・苫小牧の創成の時代を見る。
■イーグルの誕生
「戸巻ノート」は約90ページ。内容は海外の指導書の翻訳が多いが、最初に「北海道氷上競技連盟アイスホッケー規則」が記されている。施設や用具の規定、競技ルールの説明で、今さらと思われるだろうが草創の昭和初期には、これこそが大切だった。何しろ、ルールは当初、口伝えだけで覚えていたのだから。
苫小牧でのアイスホッケーの始まりは、1924(大正13)年。後に苫小牧町長、参議院議員となる西田信一氏が苫小牧工業学校に教員として赴任して指導し、アイスホッケー部ができた。これに刺激を受けて25年、王子製紙苫小牧工場の戸巻運吉、松本昇、大西勝太郎、中野利雄、佐藤三千の諸氏が同好会をつくり、翌年1月、チーム「イーグル」を結成した。
■用具は手作りで
「でも、残念ながら誰もスケートを持っていなかったんです」と戸巻氏は、後の座談会で笑いと共に語っている。「それで苫工から借りたスケートを見本に自分たちで作ろうということになった」。うそのような話だが、真剣だった。「刃金の部分を製紙機械や帯鋸(のこ)の壊れたものを材料に、腕によりをかけて作った」
メンバーには鉄工部員が多かったから、細工はお手の物。だが、手製の刃はすぐに靴から外れたりパックが当たると曲がったりして、実戦では使い物にならなかったようだ。
とにかくスケートはそれで間に合わせるとして、ユニホームはどうするか。当時の写真を見ると、上は毛糸のセーター、下は毛糸のタイツに綿布のパンツ。「それで…」と戸巻氏。「グローブ代わりに軍手を2枚はめた。でもスティックでたたかれると痛いので、馬具屋に頼んで軍手の甲に厚い革をあててもらった」。使い勝手が結構良く、初めて出場した全日本選手権大会でもこれを使ったという。
■街のチームからの応援
1927(昭和2)年になるともう、試合をすることになった。困ったのはゴールキーパーの防具だ。戸巻氏がそのポジションだった。「その頃、街にオーロラという野球チームがあって、そこからキャッチャーのすね当てと胸当てを借りて使った」。オーロラは苫小牧初の野球チームで、冬には「カナディアンスター」という名でアイスホッケーをしていた。
スケートは苫工をモデルに、防具は街のチームからの借り物。そして、誕生間もない「イーグル」は闘志あふれるも、そのどのチームよりも弱かった。
(一耕社代表・新沼友啓)