苫小牧港に就航するフェリーやRORO船(フェリー型貨物船)は、北海道と本州をつなぐ大動脈。2011年3月11日の東日本大震災発生直後、自衛隊員や食料、ガソリンなどを輸送し、被災地の支援に大きく貢献した。港湾関係団体や企業は震災後、危機意識をさらに高めるようにソフト、ハード両面で防災事業を展開。人流や物流の拠点を担う自覚と誇りを持って備えている。
苫小牧港は震災前から、計画的に耐震化を進めていた。苫小牧港管理組合によると、07~15年度は事業費97億6000万円で東港中央埠頭(ふとう)2号岸壁360メートルを、11~12年度は同30億7000万円で西港西埠頭3号岸壁220メートルを耐震化した。東日本大震災では道内にも津波が押し寄せたが、岸壁に被害はなく、その後は支援物資の輸送基地となった。
港湾周辺では備えの大切さを再認識するように、建物の耐震化や津波への備えが進んだ。苫小牧埠頭(苫小牧市入船町)が15年に完成させた新社屋ハーバーFビルは、1階部分を波が通り抜ける「吹き通し」構造。4階と屋上に最大1100人を収容できる一時避難スペースを設けた。東港区で昨年稼働を始めた大型冷凍冷蔵倉庫北海道クールロジスティクスプレイス(同弁天)も、屋上に最大1700人が避難できる。
同組合の佐々木秀郎専任副管理者は震災当時を「フェリーやRORO船が物流を支えた」と振り返る。一方で港湾やその周辺で着々と進む整備にも「最大想定の津波が苫小牧に来た場合、しばらく苫小牧港が使用できなくなる」と危機感を募らせる。
15年に西港で5・8メートル、東港で7・7メートルの津波を想定し、事業継続計画の港湾BCP(地震・津波編)を策定。災害時に優先的に復旧させる機能などを明記したが、他港や代替交通機関、陸上輸送方法などを含めても、苫小牧港が持つ輸送能力の確保は難しいと見通す。
さらには発展を続ける苫小牧港ゆえの課題もある。18年9月の胆振東部地震では西港、東港どちらも常時空いている岸壁が少なかった。国土交通省の支援船がフェリー会社の岸壁を一時的に利用し、フェリーが到着する前に沖へと向かう日が続いた。
港湾BCPも実際の運用で改善点が見えた。行政や民間企業など88カ所で構成する苫小牧港港湾BCP協議会は、地震後すべてに連絡する決まりだが、団体によっては必要としない情報も送るなど、実態に合わない部分も浮き彫りになった。同協議会は改訂版の作成を進めており、21年度の運用開始を目指している。
震災から10年が過ぎ、対策を講じ続けても、各地で災害が起きるたび、新たな気付きがある現状に、佐々木専任副管理者も「関係者が道内物流へのダメージを自覚することから始めるべき」と提言する。災害時の被害をできる限り少なくし、どれだけ早く立ち直れるか、関係者の模索は続く。
(室谷実)