66歳で歌手デビュー 松山 陽子さん(72) 歌って踊って 夢を実現 病に負けず前向きに 「また全国飛び回りたい」

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年3月13日
「以前のように歌や踊りを楽しめる生活に早く戻りたい」と話す松山さん
「以前のように歌や踊りを楽しめる生活に早く戻りたい」と話す松山さん
ダンスの競技選手として数多くの大会に出場=2008年
ダンスの競技選手として数多くの大会に出場=2008年
CDデビュー後、全国各地のステージに出演=2016年
CDデビュー後、全国各地のステージに出演=2016年
母や弟ら家族との記念撮影(最前が松山さん)=1953年ごろ
母や弟ら家族との記念撮影(最前が松山さん)=1953年ごろ

 66歳で歌の世界に飛び込んだ松山陽子さん(72)。度重なる病気に悩まされながらも、明るい性格と全国にいる仲間の存在で前向きに乗り越えてきた。「新型コロナの感染拡大が収まったら、また全国各地を飛び回りたい」とほほ笑む。

 苫小牧市出身。高校卒業後、市内の企業に就職し、23歳で市職員の夫・強さんと結婚。3人の男の子を授かった。

 「普通の主婦」に転機が訪れたのは、44歳の時だった。自宅がある桜木町の町内会で社交ダンスのサークルが立ち上がったのを機に、気軽な気持ちでダンスを学び始めた。未経験だったが、「始めてみるととても面白くて、あっという間に夢中になった」と話す。

 ダンス熱が高じ、50歳の時にはアマチュアダンスの競技選手にもなり、全国の大会に出場するまでになった。しかし、58歳の時、強さんが病気で死去。最愛の人を失ったショックでうつ病となり、家から一歩も出られない日が続いた。

 どん底の中で一筋の光となったのは、周りの人たちの存在だった。何度も粘り強く誘ってくれる仲間に励まされて練習を再開。体を動かすうちに薄皮をはぐように病状が好転し、数カ月かけて持ち前の明るさを取り戻すことができた。

 選手生活10年目の60歳でアマチュア選手を引退。と同時に「自分が歌う曲でタンゴを踊りたい」という夢を実現させるため、歌の教室に通い始めた。それから6年後、自ら作詞した「幻のタンゴ」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)でCDデビュー。キャンペーン活動や高齢者福祉施設などでの慰問活動で、全国各地に歌声を届けた。

 母親の介護で活動を自粛した時期もあったが、2018年に活動を再開。19年7月には新曲も発表したが、同年12月、腸の病気で緊急入院。手術を終えて退院した後も、人口肛門を装着しながら治療を継続した。新型コロナウイルスの影響で歌手活動も休止に追い込まれ、病気とコロナ禍という二重苦に一時落ち込んだ。 

 しかし「くよくよしても仕方がない」と思い直し、自宅で過ごす時間を知人に贈るための布マスク作りに充てた。治療にも前向きに取り組み、20年秋には無事に完治。以前のように全国各地を巡る活動再開のめどはまだ立たないが、4月に札幌で予定されている新舞踊公演で踊りを披露するという目標に向け、猛稽古に励んでいる。

 幼少期は人見知りで、目立つことが苦手だったという松山さん。「まさか自分が歌手になって人前で歌うことになるなんて、夢にも思わなかった」と笑う。「コロナの感染拡大が収まったら、また、たくさんの人たちに歌や踊りを届けていきたい」と語った。

 (姉歯百合子)

 松山 陽子(まつやま・ようこ) 1948(昭和23)年5月、苫小牧市生まれ。民生委員児童委員を務めた父・小笠原三之助の影響を受けて地域福祉にも関心を持ち、歌手となってからは福祉施設でのボランティア出演に力を入れてきた。苫小牧市桜木町在住。

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