東日本大震災から10年を迎えた11日、宮城県石巻市を7年ぶりに訪れた。市町村別死者・行方不明者が3971人(総務省消防庁まとめ、3月1日時点)と最多だった同市。各所で市民が犠牲者を慰霊し、深い悲しみに包まれていた。
同市の沿岸部に位置し、津波で大半の建物が流された南浜地区は、石巻南浜津波復興祈念公園となっていた。市民が設置した「がんばろう!石巻」の看板付近で、「東日本大震災追悼3・11のつどい」が行われた。午後2時46分、市民ら約1000人が黙とうをささげた。
会場を訪れた同市蛇田の農業、相澤利津子さん(58)は、市内の港付近で死去した義母の杉山とめのさん(当時86)を思いながら献花台で冥福を祈った。「いつもは港で祈っていた。今年は『会いに来たよ』と伝えた」と故人をしのんだ。
つどいを主催した実行委員会の黒澤健一さん(50)は「3月11日は遺族にとっては命日。大切な人を失った多くの方の悲しみは、現在も続いている」と指摘する。
一方で震災から10年が経過し、震災を知らない世代が増えたため、今年から次世代に悲しみを伝える取り組みを始めた。「これからも毎年つどいを開きたい」と決意を新たにする。
未曽有の大災害を子どもたちにどう伝えるか―。民間組織が中心となり、オンラインを活用した授業も行われている。
10代の居場所づくりなどを進める認定NPO法人カタリバ(東京)が同日、同市の大川小学校でオンライン特別プログラム「防災と命の授業」を開いた。
児童や教職員計84人が犠牲となり、震災遺構として整備が進められている同小。適切な対応をしていれば被害が防げたとして、校長らの過失を認定した判決が確定している。
授業は東京や大阪の学校などから計2729人から参加の申し込みがあった。講師は元中学校教諭で語り部活動をしている佐藤敏郎さん(57)。震災で同小6年生だった次女みずほさん(当時12)を亡くしている。
佐藤さんは同校周辺の山に立ち、10年前の11日に起きた出来事を振り返り「あの時学校はパニックになっていた。津波が来ることは予想されていたが、対策が不十分だった」などと説明した。
子どもたちの命を守るためにも「あの日大事と思ったことは、いつも大事。命は最たる物」と強調し、「防災は自分や大切な人を助けること。避難訓練も自分や命を守ることを思って」と呼び掛けた。
毎年3月11日は東北地方太平洋沿岸で、住民が大切な人を失った悲しみと向き合う。震災から11年目に入り、若い世代に巨大地震と津波の恐ろしさ、防災の重要性をどう伝えるか、関係者の試行錯誤が続いている。
(室谷実)