東北地方を中心に、かつてない規模の被害をもたらした東日本大震災。苫小牧市内も2メートル超の津波が到達し、各方面で影響や被害が生じた。樽前山の噴火や地震がメインだった苫小牧市の防災政策は、震災を契機に津波対策も重要視するようになり、津波避難計画や津波ハザードマップの策定などにつながった。
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2011年3月11日。大津波警報が発令され、市内も苫小牧港・西港で2・1メートル、東港で2・5メートルの津波を観測した。西港漁港区や勇払マリーナ付近は冠水し、沿岸の住民約1100世帯に避難勧告が出された。
苫小牧市の地域防災計画は震災前から、津波について「1952年の十勝沖地震(マグニチュード8・2)規模で波高4メートル以上」と想定し、施設整備や避難の在り方なども明記。実際に到達した津波は数字上は想定内と言える。
しかし、関係者が震災から受けた衝撃は大きかった。当時の同計画は樽前山の噴火や地震を重視し、津波に対応した訓練や対策は不十分で、ハザードマップ(災害予想地図)もなかった。津波は震源の位置や地震の規模によって、想定を大幅に上回る可能性があった。
震災当時の市危機管理室長、秋山幸三さん(69)は「大きな津波は来ないと考えていた。市にとって震災は想定外だった」と率直に振り返り「地域の人が加わる中で、実態の伴うマップを作ることが大切だと感じた」と述懐する。
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道は12年6月、新たな津波浸水予測図を公表。苫小牧沿岸の最大水位(津波高)は8・5メートルで、浸水範囲が従来の想定より拡大するとの見立てだった。
市は町内会と連携し、15年3月までにマップを策定。45町内会が浸水区域となる中、マップでは地域ごとの最大水位を色分けし、避難所や避難ルートなどを示した。
「津波避難ビル」の確保にも力を入れた。浸水区域内にある3階建て(約7メートル)以上の公共施設や民間施設を、現在までに避難ビルとして69棟指定。3万人以上の収容を可能にした。16年4月には避難指示を出す基準などを定めた津波避難計画の運用も始めた。
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国は20年4月、日本海溝・千島海溝沿いを震源とする巨大地震の想定を発表した。苫小牧市内の津波は最大9メートル。道は21年度の早期に津波浸水予測図を作る予定で、市はこの予測図を基に21年度から2カ年でハザードマップを更新する。
新マップは浸水区域の拡大も考えられ、市危機管理室の前田正志室長(49)は「避難ルートや大丈夫とされていた地域にも色が付く可能性がある。地域の方に説明しながら見直したい」と強調する。
従来の想定でも「第1波」は49~57分以内の到達としているだけに「万が一の災害の際にどう行動すればいいか、市民の皆さまにイメージしていただきたい」と、命を守る行動を日頃から想定する大切さを力説している。(平沖崇徳)
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東日本大震災の発生から10年が過ぎ、未曽有の地震と大津波は、防災の在り方を大きく変えた。苫小牧でも震災を教訓に、防災の強化が図られる中、分野ごとにこの10年間を追い、今後どう震災対策を進めばよいのかを探る。