1 気持ち奮い立たせ 港の発展に努力 津波で湾口防波堤破損 コンテナ取扱量震災前より増加 岩手県釜石市

  • 特集, 被災地の今 東日本大震災10年
  • 2021年3月10日
東日本大震災後、順調に復旧し、コンテナ貨物取扱量が増えている釜石港
東日本大震災後、順調に復旧し、コンテナ貨物取扱量が増えている釜石港
「苫小牧港にRORO船の寄港後、反響が大きかった」と話す中平さん
「苫小牧港にRORO船の寄港後、反響が大きかった」と話す中平さん

  東日本大震災の発生から、あす11日で10年を迎える。更地を整備して復興が進んだまち、家族や知人を津波で失いながらも、懸命に生きる人たちの姿は―。2014年3月以来、7年ぶりに東北を訪れ、「被災地の今」を伝える。(室谷実)

   9日午前、新千歳空港から飛行機で仙台空港に到着し、レンタカーで岩手県釜石市に向かった。苫小牧港・西港で昨年9月、釜石港からRORO船(フェリー型貨物船)が試験寄港した際、電話で対応してくれた同市役所国際港湾産業課の中平貴之課長補佐(47)と会った。

   釜石港は1934年1月に開港。91年に飼料の輸入、93年に完成自動車の移出、2000年から石炭の輸入を始めるなど着々と発展。08年に世界最大水深63メートルの湾口防波堤(全長1960メートル)が、30年の年月をかけて完成した。

   同市は日本の近代製鉄発祥の地だが、鉄鋼製品の需要減などを背景に人口が減少。1963年は約9万2000人だった人口が、今年2月末現在3万2069人。市の発展には港の活性化が不可欠で、関係者がコンテナ貨物の定期航路開設を目指す中、2011年3月11日の巨大地震と大津波に見舞われた。

   湾口防波堤のうち、北堤(同990メートル)がほぼ全壊し、南堤(同670メートル)も半壊。津波は高さ4メートルの防潮堤を乗り越え、市街地に壊滅的な被害を及ぼした。総務省消防庁によると、同市の死者・行方不明者数は1146人(3月1日時点)に上る。

   約20年間にわたり港湾関連業務に携わってきた中平さんは「すべてが終わったと思った」と振り返る。絶望感にさいなまれ、避難所で被災者の対応をしていた11年3月下旬、船社から航路開設の打診を受けた。もう一度港を発展させるため、気持ちを奮い立たせた。

   同港の復旧作業も進み、震災1カ月後には公共埠頭(ふとう)の供用を再開。同5月に海外コンテナ船社が視察に訪れた。必死に説得を試み、同6月に国内コンテナ船社から定期航路の決定が知らされ、同7月に国際フィーダーコンテナ定期航路が開設された。

   当初は同港からの積み荷が少なかったが、撤退への危機感から、約300社の荷主へ電話をかけ続けた。中平さんら関係者の熱い思いが伝わり、徐々に利用企業が増えていった。

   17年度に湾口防波堤も復旧し、ガントリークレーンの供用を開始。同11月に上海港や釜山港などと結ぶ外貿コンテナ定期航路を開設した。コンテナ貨物取扱量は20年、20フィートコンテナ換算で8884個。震災前の10年、114個と比べて増加は著しい。

   中平さんは「釜石は陸路でT字路となる交通の結節点。国際貿易港として流通を増やし、十字路のようにしたい」と夢を膨らませ、今後の目標について「RORO船の国内定期航路の開設、コンテナ貨物取扱量1万個を目指す」と意欲。「生まれ育ったまちで愛着がある。港ももっと良くしていきたい」と前を向く。

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