乗り越えて やっと 【上】 通信販売業 阿部民子さん(59)

  • 南三陸に生きる, 特集
  • 2021年3月8日
通信販売業を手掛ける阿部民子さん

  「苦しみや悲しみ、さまざまな感情を乗り越えてやっと10年。何もないところに一から会社をつくり上げるのは本当に難しかった」。22メートルを超す津波で建築物の7割以上が被害を受けた宮城県南三陸町戸倉地区。眼下に広がる穏やかな海、磯のにおいが届く「たみこの海パック」の事務所で、阿部民子さん(59)は安堵(あんど)した表情で一息ついた

   阿部さんは山形県米沢市出身。結婚を機に同町へ転居。夫の徳治さんと義母の3人で暮らしている。

   2011年3月11日に発生した東日本大震災前は、夫と共にカキやホタテなどの養殖漁業を営んでいたが、震災で義父を亡くし、津波で家を流された。残ったのは一隻の船のみ。同年7月まで流失を逃れた民宿で避難生活を送り、その後4年間、仮設住宅で暮らした。高台に家を建てたのは震災から5年目だった。

   町が破壊されていく過程を目の当たりにした。震災で人を助けられなかったという思いから、海の仕事には戻りたくない気持ちが強かった。震災から1年間は自身も被災者でありながら、被災者の見守りや相談に乗る支援員として働いた。

   海に行かなくてもできる仕事はないか―。そう思いながら生活していたとき、避難所や仮設住宅に何度も支援に来ていたボランティアに「何かできることをやってみれば」と言われた。震災の15年ほど前から小遣い稼ぎとして、親戚や友人にワカメ、ホヤなどの海産物の詰め合わせを送っていたことを思い出した。

   起業を決意し12年10月、海産物の通信販売業「たみこの海パック」を設立した。素材を生かした素朴な商品が特徴で、乾燥ワカメや焼きバラのりなど。16年に水産養殖管理協議会(ASC)認証を国内で初めて取得、19年に農林水産祭の天皇杯を受賞した「戸倉っこかき」も人気だという。

   当初は顧客を得るのに苦労したが、9年目になり全国各地にファンができた。「無我夢中で一歩ずつ土台を固めてきた。思いはあっても、人集めから経営まで大変なことばかりだった」と振り返る。

   町や養殖漁業のことも知ってもらえるように、漁業者の気持ちやストーリーを伝えられる販売を心掛けている。自ら紙芝居を作り、ふりかけ体験のワークショップも実施。これまで300人以上が参加した。海外の人にも伝えられるように英語版も制作した。

   「震災は多くのものを奪っていった。震災前とは別の町みたい」と昔を懐かしむが、「出会いもたくさんあった。人が人をつないでくれた」。10年の節目といっても「特別な年ではない。ただ、みんなが思い出すきっかけになれば」と静かに語る。

   3月11日は、例年通り仕事を休みにし、義父の墓参りに行くつもりだ。

  (樋口葵)

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   東日本大震災から10年。これまで延べ90日間を宮城県南三陸町で過ごした記者が2月下旬、再び訪れた。南三陸町に生きる2人の10年間を追った。

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