白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)中核施設・国立アイヌ民族博物館(佐々木史郎館長)は6日、「伝承から自然災害を記憶する―津波」と題したイベントを開いた。同博物館職員が白老のアイヌ民族が残した津波の伝説などについて解説。言い伝えに込められた大昔の自然災害の記憶や痕跡を防災に役立たせる大切さに理解を深めた。
イベントでは、同博物館研究学芸部教育普及室学芸主査の八幡巴絵さんと、エデュケーター(教育普及専門職員)のシン・ウォンジさんが講師を務め、約50人が集まった。
昔の津波を調べる方法について、シンさんは「古文書と地層から知ることができる」とし、北海道の最古の地震・津波の記録は「松前藩などの古文書に記載された1611年の慶長三陸地震・津波」と説明。太平洋沖を震源とした巨大地震により、アイヌ民族を含め多くの犠牲者を出したという文献を取り上げ、「この時の被害域が東日本大震災と似ている」と話した。40年の駒ヶ岳噴火では、山体崩壊に伴う津波で700人以上の和人やアイヌ民族が溺死したという記録も伝えた。
こうした17世紀の津波の痕跡として、白老や苫小牧など胆振の海岸域にも津波堆積物が広がっているとし、「白老ではほぼ線路の海側に堆積物が見られる。当時の津波の高さは5~8メートルと推定されている」と説明。一方、18世紀以前の北海道の古文書が少ないため、大昔の自然災害を知る手掛かりとして近年、アイヌ民族の伝承や風習の記録が注目されているとした。
続いて八幡さんは、白老アイヌの生活を記した満岡伸一氏(1882~1950年)の著書「アイヌの足跡」(1924年初版)について、「著書によるとアイヌはルルプルケクル(潮を沸かすもの)という悪い神が津波を起こすと考えていた」と解説。白老の浜で行われていた津波よけの祈祷(きとう)の様子を描いた満岡氏のスケッチも紹介した。
また、白老の伝統的アイヌを代表した宮本イカシマトク(1876~1958年)が語った「津波の神が海から来た時、同時に現れたアイヌの神に導かれるまま流されていたら、樽前山に引っ掛かって命が助かった」という伝説を紹介。自然災害への警戒を物語に織り込めて代々継承し、津波の前兆を把握した際には樽前山の神への儀礼も行ったという宮本氏の口述内容を詳しく伝えた。
さらに白老アイヌの言い伝えとして、ポトロ湖近くの「おむすび山」「ツメの山」、仙台藩白老元陣屋資料館近くの「塩釜神社」、苫小牧市樽前の「キラウシ」の4カ所を津波避難場所としていたと説明。「キラウシを除く3カ所はいずれも標高18メートルと不思議にも一致する。どの場所も今の津波防災マップが示す浸水予測域から外れているのは驚き」と述べ、津波に関するアイヌ民族の伝承や知識が現代の防災に生かされることに期待を寄せた。