2020年4月に厚真町の厚南中学校に赴任した。校長として初めての学校。「ここの子どもたちや地域のために自分は何ができるか」―。教員たちと何度も膝を付き合わせ、知恵を出し合う日々だ。
中学生の頃から「学校の先生になりたい」という揺るぎない思いがあった。「その当時の先生や仲間が思わせてくれた」のだという。苫小牧市で生まれ育ち、大学時代はインカレで優勝経験のある名門、大阪体育大のサッカー部でもまれた。高校、中学の代替教員を経て、洞爺湖町の洞爺中で本格的に教師としてのキャリアを積んだ。
洞爺中では野球部の監督を務め、苫小牧啓北中に在籍した6年間のうち3年はサッカー部とアイスホッケー部の顧問を掛け持ちした。休日は早朝にホッケーの練習でリンクに行き、学校に戻ればグラウンドで一日中過ごした。
苫小牧明野中では、雪解けの早い苫小牧の気候条件を利用して、いち早くグラウンドでサッカーができる状態に仕上げた。聞きつけた道内各地のチームが毎年のように足を運び、試合をした。そこで出会った教え子たちが現在、自身が立ち上げた小学年代の「クリアールサッカースクール」で指導を手伝う。
10年から赴任した苫小牧東中時代には「校長から生徒一人ひとりに目を向けた学校づくりについて細かく教わり、考えさせられた」という。何度も背中を押され、新たなチャレンジに踏み切った。15年から教頭になり、部活動の指導からは退いたが、「いろんな部活動の大会や練習をのぞかせてもらう中で感じ取るものがあった」と振り返る。
現在は校長として子どもたちと向き合い、他校との交流も活発化させた。「(部活動の)勝ち負け以外に得られるものがあれば。外に行ってみて、気が付くことがたくさんあるはず」と期待を込める。生徒会とは学校づくりについて意見交換し、昨年秋には自らのつてを使って、苫小牧ウトナイ中に生徒を派遣する新たな試みも行った。
それをすぐに実践できたのは「自分が大阪体育大に行って得るものがあったから」。卒業後にプロ選手や高校、大学の指導者として活躍するそうそうたるメンバーと出会い、刺激を受けた。だから今度は「それを地域の子どもたちに還元できれば」と考える。
「どこに行ってもかわいがってもらうためには、いい顔をしてあいさつすること」と日々、子どもたちに伝えている。「名前も顔も覚えてもらえる。学校の中でも地域でも身に付けばいいなと思う。そのために必要な教育課程を、先生方と工夫しながらつくっていくのが面白い」。学校でもサッカーでも、子どもたちを育てるためのアイデアを形にすること。それが一番のやりがいだ。
(石川鉄也)
石田 憲一(いしだ・けんいち) 1967(昭和42)年7月、苫小牧市生まれ。苫小牧東高、大阪体育大学を卒業後、高校、中学の代替教員を経て、洞爺中で本格的に教員生活をスタート。苫小牧の啓北中、明野中、東中に勤務した後、2019年に開校したウトナイ中で教頭を務める。自ら立ち上げた苫小牧市内の小学年代サッカーチーム「クリアールサッカースクール」代表。厚真町富野在住。