日本野球連盟北海道地区連盟の元常任参与で相談役だった苫小牧市在住の鎌田明さんが24日、腎(じん)不全のため、93歳で死去した。2000年まで活動を続けた社会人野球の王子製紙苫小牧工場硬式野球部が1950年に発足した際の創部メンバーの一人。
室蘭市生まれ。苫小牧東小学校を卒業し、父親が中国の華中鉄道(当時)に勤務するため、13歳当時に中国の上海に一家で移住。上海居留民団立日本中学校を卒業して徴兵され、その後に終戦を迎えた。46年に苫小牧へ引き揚げて間もなく王子製紙に就職。硬式野球部結成と同時にアイスホッケー選手でもあり、投手の先輩だった故西浦清輝さんらが集った野球部に入り、外野手を3年続けた後、マネジャーを3年間務めた。
社会人野球協会北海道地方連盟(現・日本野球連盟北海道地区連盟)では57年から公式記録を担うスコアラーを長年にわたって続けた。野球若年層の団体役員も歴任し、全国少年硬式野球協会会長、東日本少年野球協会会長も務めた。
王子製紙苫小牧で90年代後半に監督だった石井馨さん(66)は「自分が野手の現役当時からお世話になった」と言い、部の草創期や道内戦後の社会人野球史の生き字引と振り返った。「人脈の広い人だった。部のみならず、道内社会人や若い年代の野球界への貢献は大。感謝は尽きません」と語った。
王子製紙による2000年夏の都市対抗野球終了後の苫小牧と愛知県春日井両チーム統合の前後は、当地で市民クラブ・オール苫小牧結成を準備する有志の一人として尽力。初代の監督でチーム代表を務めてきた酒井明さん(74)は「苫小牧に残った王子メンバーや連盟とのパイプ役として秋の日本選手権道予選出場につなげてくれた方」とたたえる。球場で若い選手のそばに常にいる気さくさを思い出し、「温厚でいつも穏やかでした」と人となりを回顧した。