ハイヤーからトラック、バスまで、あらゆる車の運転手として仕事をする傍ら、空いた時間に趣味の写真撮影で「北海道中を走り回った。道内で行ったことのない市町村はない」と胸を張る。
8人きょうだいの末っ子として十勝管内芽室町の農家に生まれた。新制鹿追中学校(同管内鹿追町)の第1期卒業生。豆や芋などを栽培する家業を手伝いながらの通学で、年の半分程度しか登校できなかった。それでも「学ぶことは誇らしかったし、家のことをしなくてよいから楽しみだった」と本音をのぞかせる。
17歳まで中腰姿勢での作業を続けてきたため、「座ってできる仕事に魅力があった」と運転手を志した。当時、車は役所や一部の富裕層しか所有できない時代で、憧れもあった。
札幌の自動車学校に入学し、下宿しながら3カ月で運転免許を取得。古里の友人からも称賛され「鼻が高かった」と誇る。現在のように運転できる車に異なる免許区分がなく、ハイヤーや50人乗りのバス、10トントラックなど大小さまざまな車を何でも操った。
「オジロワシを見た」「エゾフクロウがいた」―。仕事柄、よく野生生物の情報を耳にすることがあり、自然や動物に興味を持ち始めた。苫小牧市内に住んでいた37~38歳の頃、子どもを連れて弁天沼(弁天)に出掛けた際、きれいなカモやキジが飛ぶ様子に目を奪われた。美しい姿を形に残したい―と写真機を買い求めた。
以来、仕事で使用するトラックには、常にカメラや三脚を積んで移動した。空いた時間を見つけたり、寄り道をしたりして、主に鳥やクマを撮影した。ただ写真に収めるのではなく、生き生きとした「真の姿や珍しい姿を見つけて写す」ことに熱中した。運転手のような職でなければ「仕事の合間に写真を撮って歩くことはできない」と、仕事が一層楽しくもなった。
ドライバーの指導監督をする運行管理者になり、70歳で仕事を退職しても、写真撮影は続けた。2015年に、札幌市の民間動物園から逃げ出したモモイロペリカンとみられる鳥が、むかわ町にいると報道された際は、現地まで車を飛ばし、鵡川河口でたたずむ様子を激写。こうした話題性のある写真は苫小牧民報にもたびたび提供した。
これまで、タンチョウとエゾシカが接近する様子やオジロワシがキタキツネに襲われる場面にも遭遇。希少な場面の撮影は難しいが、さまざまな場所に足しげく通うことで成功している。
間もなく米寿を迎える今も健康そのもの。「毎日カメラを持って出歩いているから。車に乗らない日はない」とにやりと笑う。
(高野玲央奈)
佐藤 勇(さとう・いさむ) 1933年3月、十勝管内芽室町生まれ。3人の子どもと6人の孫に恵まれている。愛用のカメラは「キヤノンEOS 40D」で、28ミリ、300ミリ、500ミリのレンズを使用している。苫小牧市沼ノ端中央在住。