(4)残りの人生は苫小牧で 被災地から移住 浅井敏雄さん(82)

  • 東日本大震災から10年, 特集
  • 2021年1月7日
「生きているのが奇跡」と当時を振り返る浅井敏雄さん

  苫小牧市末広町の浅井敏雄さん(82)は震災後の2011年6月、48年間過ごした宮城県石巻市を離れ、妻の貴恵子さん(81)と苫小牧へ移り住んだ。あの大地震と大津波が東北を襲った記憶を「思い出したくない」としながらも、今も夢で見るのは石巻で共に過ごした仲間たちとの思い出。「生きているのが奇跡。当時を思えば今は天国だ」と話す。

   石巻市には1964年、当時勤務していた会社の異動で移り住んだ。年に3度の旅行が楽しみで、晩年は同市でゆっくりと過ごすつもりだったが、突然大災害に襲われた。震災当日、家の中で強烈な揺れを感じ、近くの小学校へ貴恵子さんと避難。その約1時間半後、津波が押し寄せ、後日自宅へ戻ると、周囲の家々と一緒に跡形もなく流されていた。

   避難先の小学校には1200人ほどがいた。最初は救援物資が配られていたが、3日目以降は食料が不足。自ら調達しなければならない時期もあった。4月に入ると、市の職員が「学校を再開させるため、教室を明け渡してほしい」と頭を下げた。その言葉に避難者たちも憤慨。興奮のあまり倒れてしまう人もいるほどだったという。

   水道が止まっているため、小学校のプールにたまった水を屋内に運ぶ当番が割り当たった。寒さが厳しい中、24時間交代で水をくみ続けた。「夜中の作業は本当に大変だった。それでも文句を言う人は誰一人としていなかった」と辛かった約3カ月の避難生活を振り返る。

   その後、20代の時に3年ほど住んだ苫小牧に転居することを決意。市が用意した市職員住宅で9カ月ほど生活した後、市内末広町の市営住宅へ移り住んだ。「物を増やさないようにしているから」と、親戚や知人から譲り受けた最小限の家具で暮らしている。

   1週間に1度、夫婦でJR苫小牧駅前まで買い物に出掛けていたが、新型コロナウイルス感染症の拡大で外出する機会は減った。バスの減便で移動も不便になり、買い物も近所で済ませている。好きだった旅行は、施設に入所する90代の実姉の面倒や自分自身が年齢を重ねたこともあり、最近は機会がないという。

   石巻市の友人と年に1度、電話で連絡を取って近況を報告し合う。現地の様子はテレビや郵送で届く冊子などで現状を知る程度だ。

   残りの人生は苫小牧で過ごそう―と、昨年7月に本籍地を苫小牧へ移した。お酒が好きな敏雄さんは毎晩ボトルを傾ける。10年を振り返り「生活の場所は変わったけれど、今は元気で暮らせているよ」とほほ笑んだ。(松原俊介)

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