支笏湖美笛地区の奥深い山中に、アイヌの人たちが使った「シラッチセ」が残されています。
シラッチセはアイヌ語の「シラル(岩)」、「チセ(家)」で岩屋や岩陰を意味します。狩猟に伴う野営地で、儀礼の神聖な空間でもありました。
美笛地区のシラッチセは、美笛川支流の右岸に沿ってびょうぶのように連なっている崖の基部の、岩陰の奥にあります。高さ2・3メートル、幅約2メートル、奥行き約1・5メートルで、1950(昭和25)年ごろまで猟師が使っていたと推測されています。
83(昭和58)年に行われた千歳市教育委員会の調査では、13頭分のヒグマの頭骨、子熊を入れる木製の檻(おり)、かんじきやへらなどの道具類などが確認されています。
時期は不明ですが、頭骨にはアイヌ文化の作法に従って開けられた孔(雄は左側、雌は右側)があり、祭壇に使うイナウ(木幣)なども見つかっています。イナウには千歳のアイヌは刻まないシロシ(印)があり、使ったのは地理的な条件から白老地域のアイヌの可能性が高いとされています。
このシラッチセについては1868(慶応4)年7月、戊辰戦争最後の戦い箱館戦争に伴う官軍の襲撃情報で撤退した白老陣屋の仙台藩士が隠れた、との記録も残されています。当時は白老側からの道があったのでしょう。市教委の調査時は、支流からシラッチセまで生い茂った背丈を超えるササを刈って道が造られました。調査が終わると、千歳文化財保護協会や北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)千歳支部によりヒグマの頭骨を慰霊し、神の国に送る祭事がアイヌの伝統的な儀礼によって行われました。その後訪れる人もなく、道は再びササに覆われてしまい現在は積雪期しか行くことができません。
千歳、恵庭両市内には、今回紹介したほかに恵庭市内漁川流域に4カ所のシラッチセが確認されています。
(支笏湖ビジターセンター自然解説員 先田次雄)