苫小牧市美術博物館は企画展「八王子千人同心と蝦夷地」を開催中だ。歴史資料を基に八王子千人同心の蝦夷地での事跡を紹介するという内容で、12月13日まで。同館の佐藤麻莉学芸員が3回にわたって解説する。
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18世紀後半、蝦夷地には異国船が数多く接近し、さらにはロシアが南下政策を推し進めていた。蝦夷地が外国の脅威にさらされていることを強く意識した江戸幕府は、1799(寛政11)年に、7年間の東蝦夷地の仮上知(仮の幕府直轄地)を決定した。
当初の蝦夷地経営の方針は、外国との緩衝地帯と見なしていた「異国境(蝦夷地)」の「開国(内国化)」であった。幕府はアイヌ民族の日本人化など、積極的に蝦夷地を開発しようと考えていた。八王子千人同心が蝦夷地の警備と開拓を願い出た背景には、江戸幕府始まって以来の蝦夷地政策の大転換があった。
1800(寛政12)年、千人頭原半左衛門は同人子弟50人を引き連れて武蔵国八王子(現・東京都八王子市)から蝦夷地のシラヌカ(現・釧路管内白糠町)へ、その弟新介はユウフツ(勇払)に入った。勇払では原新介が、幕府の役人高橋三平の配下として警備、開拓、交易、道路建設などに従事した。13軒ほどの家に分宿し、鵡川領汐見(現・むかわ町汐見)の開墾を行ったといわれている。
蝦夷地に入って4年が経過した04(文化元)年に、集団移住は終わる。同年3月に原半左衛門が出した報告によれば、蝦夷地に渡った130人(途中で増員)のうち、帰国者は19人で死者は32人であった。移住者の4分の1が亡くなった要因には、慣れない蝦夷地での生活で壊血病や浮腫などの病に侵されたり、寒さをしのげなかったりしたことが考えられている。
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午前9時半~午後5時。月曜休館。観覧料は一般300円、高校・大学生200円、中学生以下無料。