JR日高線鵡川―様似間の来年4月1日廃止が確定した。日胆地区で鉄路が廃止されるのは戦後間もなくの王子製紙軽便鉄道(山線)や早来軌道など小規模なものを除けば1986年11月1日、旧国鉄時代の富内線以来のことだ。
本久公洋著「北海道の鉄道廃線跡」(北海道新聞社)に鉄路の記録と、今はもうない木造の駅舎の写真が寂しく並ぶ。残されたコンクリートの塊、出入り口をふさがれたトンネルなどの写真もある。捨てられ、消えていく物の写真に心が揺れる。
富内線(鵡川―日高町、82・5キロ)廃止までの経過は91年発行の新穂別町史に詳しい。最後の運行となった86年10月31日には苫小牧と日高町間を「さようなら列車 富内号」が走り、車両前部には「富内号」と書かれた大きな飾りが付けられた。
午前7時すぎ、苫小牧を出発した富内号は、最盛期の終着駅だった穂別町(当時)の富内駅などで住民から手を振って送られ、午前10時32分、終点・日高町駅に到着。占部一誠日高町長(同)から「地域の足として、沿線住民の心の支えとして、よく働いてくれました。ありがとう」とねぎらいの言葉が送られた。小学生代表が感謝の作文を朗読し、利用者代表からは運転士に花束が贈られたそうだ。
約6年前、冬の嵐に路床をさらわれ、復旧工事も行われないままに廃止が提案され、長い協議が続いた日高線。レールが赤くさび、枕木ごと浮いた鉄路が花道なのか。寂しい終幕。(水)