「朗らかで実に座持ちがいい」
戦後日本を代表するジャーナリストの一人として知られる本田靖春さんについて、親交があった人たちは口々にそう語る。新聞記者を経て、フリーのノンフィクション作家として活躍した本田さんは2004年に71歳で亡くなるまで幅広い分野で綿密な取材活動を重ね、多数の力作を残した。おうようそうだが作品を読み込むと、こまやかな心遣いをする人物像が浮かび上がる。
取材は単なる質問攻めでは成立しない。常に1対1ではないから、気配りも欠かせない。座持ちがいい人というのは相手が大人数であっても自然とそれができてうまく話を引き出す。低姿勢で、誠実さを装うだけでは駄目だ。
控えめと無愛想は紙一重だし、苦手なのに無理に冗談を飛ばして盛り上げようとすれば場の空気はかえって固くなる。芸人でも、ホステスでも地で座持ちがうまいのは一種の才能だろう。かつて大物と呼ばれた人たちは皆、そんな感じだった。
令和時代の政治家や著名人はどうか。定例会見、囲み取材を問わず原稿の棒読みで気配りも感じず、切り返しの悪さにハラハラさせられる場面が増えた。スキャンダルや不祥事に伴う会見ならなおさらだ。何だか残念だが、座持ちは悪くても本当に誠実ならばそっちの方がいい。「節を重んじ、節を曲げることがみじんもなかった」という本田さんも、生きていたらそう言ったはずだ。(輝)