「おそらく奥尻島以外は全て回ったのではないかな。北海道のことならいくらでも話せるし、誰よりも知っていると思うよ」
そう自信満々に話す。神奈川県鎌倉市で生まれ育ち、北の大地には縁もゆかりもなかった。だが、恵まれた自然、今はなくなった駅舎や廃線になった鉄路を自らの足で歩いて写真にまとめ、詳細に記録してきた。その知識を評価され、以前はフリーライターとして専門雑誌にも投稿していたほど。語り出したら、次から次へと話題が出てくる自称「北海道マニア」だ。
初めて道内を訪れたのは1985(昭和60)年、高校2年を目前にした春休み。友人に連れられ、ひょんなことから富良野市まで行くことになった。「あの時、北海道と言っても札幌、ラーメン、時計台、ムツゴロウ王国…。これくらいしか思い浮かばなかったな」と懐かしそうに振り返る。
しかし、それまでまともに見たことがなかった雪を目の当たりにし、当時16歳だった少年は「カルチャーショック」に襲われた。その後、オホーツク海で見た流氷、知床岬、釧路湿原とその自然に魅了された。翌春には稚内市の宗谷岬まで行った。以来、時間さえあれば道内各所を塗りつぶすようにして歩き、市町村合併以前から含めると、足を踏み入れた自治体は211市町村に達するという。その過程で単なる旅だけではなく、川下りや登山、自転車と多様に趣味を増やしていった。
胆振管内では92年夏、旧穂別町(現むかわ町)の富内で大雨による大水害に出くわし、いきなり被災者にもなった経験もある。「橋は倒壊しているし、身動きが取れない状況だった。あの時は支援物資というものもなかったから」。仲間と持ち寄った非常食で3日半をしのいだことも、今では貴重な思い出だという。
その後、北海道への思いを強くし、結婚をきっかけに仕事を辞めて2004年に札幌市へ移住。2年ほどを過ごした後、暮らしの場所として選んだのが安平町だった。「生活に密着したところに牧場があって、札幌や空港が近い、そんな場所ってなかなかない。道内市町村を渡り歩いたけど、今住んでいる早来が一番良いと思う」。そこは胸を張って言える。
札幌の郵便局で働いた10年ほどの間、ほぼ毎日、町から札幌までJRで通勤するなど田舎暮らしを実践し、「ベッドタウン」をアピール。一般社団法人あびら観光協会では、インターネット交流サイトを通じて地域の話題を発信したほか、飲食店情報を網羅したグルメパンフレット「あびらまちなび」の作成も手掛け、安平を幅広く紹介してきた。
同協会は9月末で退職したが、これからも別の形でまちのPRに貢献したいと考えている。「北海道が好きだから。心が豊かになるし、北海道、安平町のことをもっと多くの人に知ってもらいたい」
(石川鉄也)
多 映介(おおの・えいすけ) 1968(昭和43)年11月、神奈川県鎌倉市生まれ。専修大学を経て電気機器メーカーに就職。2004年から北海道に移住し、06年に安平町へ。19年4月から一般社団法人あびら観光協会の職員となり、道の駅「あびらD51(デゴイチ)ステーション」の集客にも尽力。フリーライターとしても活躍してきた。安平町早来北進在住。