鵡川の鉄橋の近くに、鵡川盛土(もりつち)墳墓群(ふんぼぐん)という北海道の指定文化財があります。現地は看板が立っているだけで町民でも知っている方は少ないと思います。この遺跡は昔、汐見遺跡と呼ばれていました。
1963年4月、北海道大学医学部解剖学教室の大場利夫教授が中心となって3日間の発掘調査が行われました。町内外の参加者に加え、地元の中学校や高校も協力をして実施されたそうです。調査の結果、約2000年前の続縄文時代初頭の墓跡を中心とする遺跡と分かりました。直径7メートルと10メートルの壕(ごう)で丸く囲った盛土があり、盛土の下から続縄文時代の墓跡が複数発見されました。盛土と墓跡は一体のもので、全道的にも例のない非常に珍しい埋葬の仕方であることから「盛土墳墓」と名付け、出土した土器も発見された地名にちなんで汐見式土器と名付けた―というのが当時の見解でした。そして遺跡の名前を「鵡川盛土墳墓群」に改め、66年7月7日、道の指定文化財として登録されました。
ところが近年、町郷土資料保管庫の収蔵品を確認したところ、盛土墳墓から鉄の刀が出土していることに気が付きました。文化財保存科学のエキスパートである道埋蔵文化財センターの技師に相談したところ、刀は奈良時代の方頭大刀という種類の直刀であり、柄と刀身が一体に造られる蕨手刀の特徴を併せ持つ8世紀後半以降の上古刀と分かりました。長い間、土に埋まっていたため、さびて砕けた状態でしたが、刀の形状をできる限り復元しました。
直刀の全長は62センチ。小ぶりで直線的な刀身の付け根には小判形の小さな喰出鐔(はみだしつば)が装着され、柄頭にも方形の覆輪をはめています。有機質の素材は失われていますが、本来は太く丈夫な鉄の柄に組みひもや植物のつるを巻き付けて持ち手とし、金具を付けた黒漆塗りのさやに収められていたと考えられます。直刀は東北地方から道央地方に移り住んだ人々が持ち込んだと推定されます。権力の象徴として本州産の刀が持ち込まれ、有力者が亡くなると、副葬品として埋葬していたのでしょう。むかわで発見されたお墓は北海道式古墳と呼ばれる直径10メートルに満たない塚状で、これまでに札幌、江別、恵庭、千歳などで数多くの北海道式古墳が発見されています。
鵡川盛土墳墓群の直刀が再発見されたことで、続縄文時代のお墓とその上に築かれた奈良時代の北海道式古墳という時代の異なる二つのお墓に分けることができるようになりました。鵡川盛土墳墓群の1号墳墓は直径約7メートル、高さ約65センチの盛土の周囲を幅約85センチ、深さ約80センチの壕が囲んでいます。2号墳墓の盛土の中央には木ぐいか何かを打ち込んだ埋葬部と推定される痕跡も検出されています。さしずめ、むかわ古墳群といったところでしょうか。今のところ、太平洋の沿岸部では北海道式古墳はほとんど発見されておりません。奈良時代のむかわの海岸に遠く、朝廷との文化的な交流の玄関口があったのではないでしょうか。
(むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)
※第1、第3木曜日掲載