先日、鵡川の河口に行きました。砂丘にはテンキグサという、麦をたくましくしたような外見のイネ科の植物が繁茂していました。テンキグサのわらを干したものは、テンキというアイヌ民族の伝統的な籠やコダシなどの容器を作る材料になります。この海岸線のどこかに埋もれているものが今回の話の主役です。明治時代に開拓使が設置した三角測量鵡川基点について筆を進めます。
鵡川基点は、開拓顧問ケプロンの指針に基づき設置された勇払基線の東端の基点です。1873(明治6)年、開拓使の測量隊が洋式の三角測量に基づく北海道地図を作成するため、現在のむかわ町田浦四線国道付近の土地に鵡川基点を設置しました。開拓使は、北海道開拓計画の推進に当たり、米国人の測量教師J・R・ワッソンやM・S・デイから日本人技師が測量を習いながら、広域の三角測量を柱とする新しい北海道地図を作成する事業を進めました。
地球の表面は山、谷、川、海、湖、森、草原、砂漠などさまざまな地形があり、起伏に富んでいます。三角測量では数キロ~数十キロの範囲に三つの基点を、お互いに見通すことができる山や丘の上に設置されます。三つの基点を頂点とする三角形の長さと角度を現地で実際に測量し、計算整理することで三角形を水平に置き換えた面積を求めることができます。三角形の一辺は平地にあって、できる限り水平の距離(長さ)を測り出しておかなければなりません。この三角形を全道各地に設置して網をつくることで、北海道島の面積を求めることができるのです。
伊能忠敬の沿海測量図を除く、近代以前に作成された北海道の図の多くは、推測と想像に基づいた絵図と言っても過言ではありません。開拓使が導入した三角測量はこの時、近代を迎えた日本で初めて導入されたことは揺るぎのない事実です。
鵡川基点は西の勇払基点とセットになり、勇払基線と呼ばれます。勇払―鵡川間の距離は1万4860・26461959メートルあり、勇払基点、鵡川基点、そして厚真のドーマナイ山と呼ばれた山上に置かれた測量点を結ぶ三角形が最初の三角形となりました。その後、三角点の設置は札幌に向かって設計され、安平、支笏、マオイを越えて札幌を結び、日本海へ到達します。開拓使は三角網を全道へ広げる計画でしたが、函館札幌間を結び、半ばで三角測量事業を終了しました。結局、3年を費やして開拓使が作成した北海道地図は不完全なものとなりましたが、英文の測量報告書とともにニューヨークの印刷所で500部製作されました。苫小牧市中央図書館、札幌市中央図書館、函館市中央図書館、北海道大学付属図書館などで関連する図面や資料を見学できます。
勇払基線は「正確な北海道地図の作成のための欧米の近代測量技術であり、わが国における基線測量の嚆矢(こうし)である」ことが高く評価され、2016年度土木学会推薦土木遺産「開拓使三角測量基線-勇払基線(勇払基点、鵡川基点)、函館助基線(一本木基点、亀田基点)」に選定されています。三角測量鵡川基点は、むかわ町が1965年ごろから探索を続けていますが、いまだ発見されていません。鵡川基点推定地付近の田浦球場の入り口に開拓使三角測量鵡川基点の記念碑がありますので、むかわへお立ち寄りの際は、ぜひ訪ねてみてください。(むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)
※第1、第3木曜日掲載