▶9 「ウトカンベツ」   白老アイヌ 日高地方から移住?

  • チキサニ通信, 特集
  • 2020年9月14日
白老町を流れるウトカンベツ川。アイヌ民族同士が両岸から矢を撃ち合ったという物語がある

  イランカラプテ(こんちには)。白老町の仙台藩白老元陣屋資料館の横を流れるウトカンベツ川。アイヌ民族に伝わる物語によれば、その昔、この川を挟んで両岸から矢を撃ち合う戦いがあったので、ウ(互いに)・トゥカン(矢を射る)・ペッ(川)という地名になったといいます。その戦いの背景には、村同士の闘争があったとされます。

   その闘争に敗れた村おさとその少数の部下が日高地方から逃げて、落ち着いた場所が白老であり、数日後、同じく敗軍として白老に逃げ延びた一団を追撃軍と考えた村おさとその部下たちが、ウトカンベツ川で矢を撃ち合ったところ、矢の印で味方と判明。撃ち合いを止め、その後、追撃軍が来ないことから白老に定着したといいます。

   では、白老アイヌの祖先が白老へと移住する原因になった村同士の闘争とは何か。釧路出身のアイヌ民族である山本多助氏(1904~93年)の原稿「トパットミ」によれば、1941(昭和16)年6月、山本氏が白老のイソンクル(名猟師)・宮本イカシマトク氏(1876~1958年)を訪ね、聞き取った内容として、釧路アイヌのトパットゥミに攻め立てられ、ウトカンベツ川の川辺まで落ち延びてきた先着の一団と後着の一団が矢を撃ち合い、味方と分かって白老に定着したと記してあります。

   トパットゥミとは、ある特定の村が一団となって別の村に夜襲を掛けて住民を全滅させ、宝物を奪っていく行為。アイヌ民族の口承文芸に散見する言葉ですが、実際に起きた出来事かどうかは不明です。さらに山本氏の原稿によれば、宮本氏が少年時代、釧路地方のアイヌ民族が白老を訪ねてきた際、当時の白老アイヌのエカシ(古老)たちが「釧路者なら早速殺してしまえ。生かしておけば、ろくな事が起きない」と言い、それを若手の人々がなだめるのに大変苦労したと宮本氏が笑いながら語っています。

   そして宮本氏が山本氏に「あなたも釧路の人だから、トパットゥミをやりに来たのか?」と冗談で質問。「エカシは、和人をごまかして数十万円の財産を持っていると聞いている。行って見て、それが事実ならトパットゥミをやる考えで当地に来てみたのである」と返した山本氏に対し、宮本氏は「なんのなんの財産どころか食うこともやっとの事、これこの通り毎日フキばかりたべているありさまである…」と答えたといいます。この両者の巧みな問答に引き付けられる一方で、本当にトパットゥミはあったのか? ウトカンベツ川で矢を撃ち合う戦いがあったのか? 真実はウトカンベツの川面が知っているに違いありません。

   (しらおいイオル事務所チキサニ・森洋輔学芸員)

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