3年ほど前、妻が突然競馬に興味を持ち始めました。先に言ったように、僕は馬のいないところに住みたいと思っていたくらいなので、最初は競馬には興味はありませんでした。しかし、妻と競馬中継を見ているうち、馬券を買わなければ損じゃないかと思い、馬券を買うように。中継も真剣に見るようになり、馬のいないところに住みたいと思っていたことなどすっかり忘れて競馬に夢中になりました。
そしておととしのことですが、テレビ局から浦河で撮影する番組への出演依頼が来ました。仕事が忙しいので最初は断ろうと思いましたが、ふと「もしかすると生まれ故郷に行くチャンスはこれが最後かもしれない」と思ったのと、妻に馬産地を見せてあげるのもいいなと考え、出演することにしました。
こうして2年前の7月に浦河を訪れたのですが、あまりの涼しさに驚きました。さらに、子どものときは興味がなかった海鮮のおいしさにも感激し、ロケの控室に来てくれた町長にぽろっと「夏だけ、浦河で過ごせないかな」と言ったのです。これをきっかけに話がとんとん拍子で進み、昨年、浦河で夏を過ごすことになりました。
今年も6月ごろから浦河で過ごすために準備を始めたのですが、そんな中、日本文学振興会から「少年と犬」が直木賞候補になったという連絡が入りました。東京で受賞の知らせを待って、受賞したら東京のホテルで会見をするのがお決まりのパターンでしたが、僕は浦河で待つことにしました。そして、せっかく浦河にいるのだから、浦河の人と選考結果を待つこととし、めでたく受賞となりました。
賞をもらったことはもちろんうれしいのですが、浦河にいたときに賞をもらい、町の人や縁のある人たちが喜んでくれたことがうれしかったです。東京ではこんな喜びは味わえません。故郷の人が喜んでくれる、こんなうれしいことはない。故郷に見向きもしなかった30歳の時にもらわなくてよかったと思いました。
僕は三つの大好きなものと巡り合いました。一つは本。本を読むことが好きで大人になっても読み続け、小説家になり、故郷で幸せでいることができています。もう一つは犬。生活を改め、心穏やかにしてくれました。そして、もう一つは馬。大嫌いだったのに、ふとしたことから好きになった結果、故郷で長い期間を過ごすことになりました。
苫小牧東高校の後輩に色紙に何か書いてくれと言われ、「大好きなものと巡り合えれば、人生は豊かになる」と添え書きし、サインしました。大好きなものと巡り合うことは、人生において大切で幸せなことです。
今後、社会の厳しさはさらに増すでしょうが、その中でも大好きなものが一つでもあれば人生は豊かになると思います。大好きなものを追い掛けてきた結果、ここにこうして立っている人間がいるということを忘れずに、子どもたちが好きなものと出合えるよう見守ってあげてほしいです。
講演会終了後に行われたサイン会。笑顔で来場者と接する馳さん(右)