人には忘れられない記憶がある。2018年9月6日午前3時7分。突き上げるような大きな揺れに飛び起きたものの、揺れが収まるまで身動き一つできずにいた。最大震度7を観測した胆振東部地震は、今も自分の脳裏にはっきり焼き付いている。
当時の生活拠点は、会社にあてがわれた千歳本社3階にあった。千歳の震度は6弱。揺れが収まるのを見計らって部屋の明かりをつけると、台所は棚から落ちた器類が床一面に散乱。洗面コーナーは、落下したスプレー缶の容器がつぶれ、辺りを泡だらけにしていた。
階下の事務所は、さほど大きな被害はなかった。2階から1階に下りようとした時、明かりが突然消えた。国内初というブラックアウト(大規模停電)の始まりだった。真っ暗闇の中、手探りで建物の外に出たものの、到底居室に戻る気になれず、明け方まで車の中でラジオを聴きながら過ごした。
この地震は44人(関連死含む)の貴い命を奪った。山体崩壊のあった厚真町が最多の37人に上る。何の前触れもなく、大切な家族を亡くした遺族の無念さを知るにつけ、胸が締め付けられる思いだ。
あれから2年。今も厚真や安平、むかわの被災3町の復旧復興事業が続く。その中で遺族の方々が悲しみを背負いつつ前を向く姿は、逆に私たちに勇気を与えてくれているようだ。被災3町が一日も早い復旧復興を果たし、また元気を発信してくれることを願う。(教)