かつて高校球児として夏の甲子園を懸けた大一番で投手戦を演じたエース同士が今回の交流戦をきっかけに48年ぶりの再会を果たした。1972年春の選抜、夏の選手権で甲子園マウンドに立った苫工OBの工藤敏博さん(65)=様似町出身=と、現函大有斗―日本大を経てプロ野球パ・リーグの阪急やオリックスで通算165勝を挙げた佐藤義則さん(65)=桧山管内奥尻町出身=だ。
今年発足した函大有斗OBチームに名を連ねた神戸市在住の佐藤さんが、札幌市に住む工藤さんとの再会を熱望し実現。試合での対決はなかったが、交流戦前日に苫小牧で会食もして当時の思い出話に花を咲かせた。「ずっと会いたいと思っていた。覚えていてくれてうれしかった」と工藤さんは喜ぶ。
「見上げるくらい背が大きくて、直球にも勢いがある」(工藤さん)、「丁寧にコーナーを突いてくる制球力が抜群」(佐藤さん)と互いを振り返って表現する2人は、高校時代に道都札幌の中島球場で2度対決している。初顔合わせは72年春の道大会決勝。函大有斗の佐藤さんが苫工打線をわずか3安打に抑え、6―0で完封勝ちした。
それから44日後の夏の甲子園切符を懸けた南大会決勝では、苫工の工藤さんがリベンジした。当時監督だった金子満夫さん(82)の妻文江さん(76)手製の弁当と寮の弁当を食べながら、徹底的にスタミナ強化を図ったかいあって2―0で完封し返した。「0点で抑える自信はあった」と工藤さん。有斗打線の4番でもあった佐藤さんは無安打に終わり、「全く打たせてもらえなかったよ」とはにかみながら振り返った。
卒業から半世紀近く流れた歳月だが、母校への思いもいまだに熱い。工藤さんは古豪苫工に「北海道で1位、2位を争うチームになって、また甲子園に出場してほしい」と期待している。プロの名選手―コーチと野球人生を歩み続けた佐藤さんは函大有斗に「最近はいい選手がなかなか入らないと聞く。もう一度奮起してもらいたい」と願った。