アイヌが使った鎧の一部出土 霊力を身に付けるマジックアイテム

  • THE探求 歴史から伝える「むかわ学」, 特集
  • 2020年8月20日
二宮4遺跡発掘調査の現場風景=2013年撮影

  皆さんこんにちは。むかわ町ではこの時期、むかわアイヌ協会と鵡川アイヌ文化伝承保存会による、カムイノミが開催されます。宮戸の鵡川大漁地蔵尊境内にあるアイヌ碑の前で厳かにイナウ(木幣)を祭り、アペフチカムイ(老婆の姿をした火の神様)が見守る中、アイヌを守護する自然界の神々にイナウを通じてお酒をささげ、祖先の霊魂が住まう天界に贈り物を届ける、神聖な儀式です。

   今回は、町内の遺跡から出土した鎧(よろい)のかけらをヒントに随想を進めたいと思います。「穂別町史」アイヌ民族の伝説を読むと、夜盗、野盗、群盗という言葉がよく登場します。これは穂別に住むアイヌ民族の財産を奪おうとして、十勝地方や北見地方から敵が攻め込んできた―という伝説に登場します。

   よそから敵が攻めてきた時、伝説では、神様が不思議な力を使って守ってくれることがありますが、時にはとりでにこもって戦ったり、知恵を絞って敵を欺いたり、イペタムと呼ばれるひとりでに動いて斬りかかる魔法の刀を使う場面もあって、うまく敵を撃退します。そして万が一、負けてしまった場合に備えて宝物を隠しておく山庫を用意し、特に貴重な物は身内にも内緒で山中に深く秘蔵していたと言い伝えられています。

   大昔のアイヌの社会ではお金ではなく、交渉で有利な立場になれる道具や神秘的な力があると信じられていた道具などに高い価値観を持っていました。例えば鎧(よろい)、兜(かぶと)、刀、鏡、ガラス玉、行器、耳盥(みみだらい)、漆器各種などあります。兜に付ける鍬形はキラウシトミカムイ(キラキラ光る角がある神様)とも呼ばれ、不思議な力があるマジックアイテムとして大切にされました。

   また刀や鎧の部品などは加工し、自分で作った道具に付けることもありました。幕末の探検家松浦武四郎は、自らの著作物に宝物を大切に秘蔵したアイヌ民族の姿を記録しています。

   むかわ町は、2013年9月に二宮4遺跡の発掘調査を実施しました。標高約95メートルの山中にある古い倒木の痕跡から小札のかけらが出土しました。小札は小さな長方形の鉄の板で、何十枚も重ねて丈夫なひもでとじ合わせ、漆で固めて鎧にする部品です。二宮4遺跡は大昔に山庫があったのかもしれません。

   鎧はどのような形をしていたのでしょうか。後志管内余市町の大浜中遺跡から出土した胴丸鎧のかけらがヒントになりそうです。大浜中遺跡出土の鎧は、鎌倉~南北朝期に製作されたと位置付けられています。胴丸鎧は、平安時代の終わり頃から頻繁に使われるようなった鎧で、もともとは騎馬武者に付き従う徒歩の兵士が着用する軽装の鎧でした。大鎧に比べて使い勝手が良く、上等の作りにした胴丸鎧もたくさんありました。

   二宮4遺跡で出土した小札のかけらも、かつてはこのような鎧の姿をしていたのでしょう。本州からどのくらいの数の鎧が入ってきていたのか、詳しくは分かりません。釧路の桂恋に住む首長が立派な鎧を多数所持していたという伝承があります。また、松浦武四郎の「蝦夷訓蒙図彙」という古記録に「内地の刀剣の具、また甲冑の類、是をとうとむこと甚し。其に次て行器、貝桶、耳盥、其余漆器惣而古きを貴びて新しきは不悦」という記述があります。鎧は貴重であるけれど、全道的に所有している者がいたようにも読み取れます。戦いの場や儀式の場で、美しい民族衣装に鎧を着用してさっそうと弓を構える、アイヌ民族のリーダーの姿が思い浮かびます。

  (むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)

  ※第1、第3木曜日掲載

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