出土品の刀など公開 西島松5遺跡 恵庭市郷土資料館、来月30日まで 本道の「交易の中心」裏付け

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  • 2020年7月28日
恵庭が北海道の交易の中心だった証しとなる刀が多数出土した「西島松5遺跡」の企画展

  恵庭市南島松の恵庭市郷土資料館は、8月30日までの予定で企画展「西島松5遺跡」を開いている。1300年前の恵庭は本道の拠点だったことを裏付ける出土品が多数公開され、来館者を太古のロマンへと誘っている。

   西島松5遺跡は柏木川とキトウシュメンナイ川(アイヌ語でニラが群生する泉がある沢の意味)に挟まれた広さ2万1210平方メートルの段丘。河川改修と遊水地の建設工事に伴い、北海道埋蔵文化財センターが2000年から6年間発掘調査した。

   調査の結果、同遺跡は1300年前の擦文文化期の前期のものとみられ、縄文時代の漆製品や擦文文化期の金属製品など約167万点の文化財が出土。そのうちの半数が今年、北海道から譲与され、市が保存・活用することになった。

   初回は、擦文文化期の主な墓から出土した土器や金属製品などの一部を展示。副葬品(金属製品)は刀28点(太刀2点、横刀24点、蕨手刀=わらびてとう=2点)、刀子(とうす)72点、鉄鏃(てつぞく)22点、鉄斧12点、鉄鎌6点など合計172点に上る。

   当時、刀を含む金蔵製品は大陸や本州で作られており、全道で出土する金属製品の4割を恵庭の西島松5遺跡とユカンボシE7遺跡が占める。こうした事実から郷土資料館の長町章弘学芸員は「7~9世紀の恵庭が北海道の交流拠点であることが分かる」と語る。「日本書紀」には越国の国司だった阿倍比羅夫が3度東北と北海道に遠征し蝦夷や粛慎と交易や戦を行ったと記され、これを裏付ける。西島松5遺跡から出土した円頭の太刀(非公開)は、宮内庁が保存する奈良県の正倉院宝物と同じのものとみられるという。

   長町学芸員は「90基の墓がこの遺跡に集中して出土するのは多くの人が暮らした証し。副葬品はアイヌの先祖である当時の権力者のもの」と説明する。

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