いま目に見えているものが善なのか悪なのか。難しい判断です。しかし人に対する印象にしろ事件の捜査にしろ、見えているものだけで決めつけない。そのことの大切さが本書の底流にはくっきり流れています。
愛知県岡崎市、地蔵池と呼ばれる溜(ため)池で見つかった一体の遺体。身元の名前は土屋鮎子といい、76歳で熟女専門のデリヘルを経営していた、と判明します。では彼女はなぜ刺殺されたのか。
視点となるのは県警本部の湯口健次郎です。捜査1課に所属する有望株の刑事ですが、決して聖人君子のヒーローではありません。その湯口がコンビを組まされたのが地元岡崎署の生活安全課に属する蜘蛛手洋平です。彼がまた相当なクセ者で、路傍に立つ老風俗嬢や、市長の横田雷吉などとも気安く口を利く無邪気な顔をもつ一方で、経験から来る直感を頼りに突き進む無軌道ぶりを発揮。湯口だけでなく我々読者も翻弄(ほんろう)されます。
捜査は難航します。被害者の人となりが明らかになるにつれ、つづられていくのが日本の性風俗の歴史です。名古屋のテレビ局でアナウンサーをしていた鮎子は、会社の意向で接待役に当てがわれていたという逸話は昨今の芸能ゴシップを思わせますが、性の話は人間の根源的な欲求に関わっています。目をそむけられない我々自身の問題です。
性風俗は悪なのか。捜査の過程でそんな議論が出てきます。悪いものだと決めつける捜査1課長に蜘蛛手が食ってかかる姿は必読です。何より社会的に立場が弱い人たちに対する蜘蛛手の愛惜の情にしびれます。
事件に横たわる性風俗の話に限りません。県警本部と所轄署とのあつれき、刑事同士の出世争い、湯口がひそかに付き合う部下の夏目直美との行き違いなど、すべての場面が肉厚で引き込まれます。いい面も悪いところも含めて、被害者、加害者、捜査する者たち、それぞれの実像に迫ろうとする。著者の迫力が全編にみなぎる快作です。
(講談社・2695円)
(川口則弘・
文学賞研究家)