父親から銭湯を継いだのは44歳の時。最初は右も左も分からない状態だったが、先輩たちの助けを借りながら、地域の「インフラ」を守ってきた。還暦を越えた今もなお苫小牧浴場組合長として、町の発展を支え続けている。
高度経済成長期の真っただ中の1958年10月、広島村(現在の北広島市)で5人きょうだいの4番目として生まれた。幼い頃から近所の友人たちとかくれんぼや缶蹴りなど外で遊ぶ活発な性格だったという。10年後の68年、農業を営んでいた父・正則さん(故人)が「農家でこの先食べていくのは難しい」と苫小牧市泉町の物件を購入。当時、銭湯がブームだったこともあり「公園湯」を開業した。
移住当初は「広島村に比べ、はるかに発展していて『町だな』と感じた」。中学、高校時代は野球に励み、仲間と汗を流した。
苫小牧工業高校卒業後の77年、苫小牧共同発電(現在の北海道パワーエンジニアリング)に就職。発電業務や計器のメンテナンス業務などに当たったほか、北電が所有する空知管内奈井江町の石炭火力発電所にも3年間出向し、作業に携わった経験もある。プライベートでは、83年に恵美子さん(65)と結婚し、5人の子どもに恵まれた。
転機が訪れたのは、2001年。正則さんが交通事故で骨折し、番台に立てなくなってしまった。年齢が80歳を超えていたこともあり、店を畳むか継ぐかの判断を迫られた。どうしようか悩んでいた時、手伝いをしていた住吉泉町内会の会員らから「店を畳まないでほしい」と要望を受けた。正則さんが地域に根付いて店をやっていたことを初めて知り、このまま地域の銭湯の火を消せないと「公園湯」の二代目を継ぐことを決断。翌年3月に25年勤めた会社を退職した。
家族を養うため夫婦2人で手探り状態から営業を再開。浴場組合の先輩方から掃除の仕方や湯の替え方などのイロハを学んだ。町内会の手伝いもあったため、多忙を極めたが「続けてくれてありがとう」や「助かる」といった声がやりがいになっていた。営業を始めて5年後には炭酸泉を導入したり、毎月違った入浴剤を入れるキャンペーンなどお客さんを飽きさせない工夫も凝らしてきた。
10年ほど前には浴場組合の組合長に就任。人件費や電気代などの高騰で入浴料が上がり続ける現状だが、「入学・進級おめでとう入浴」など子どもや親子連れをターゲットにした企画もスタート。「お客さんに1回でも入ってもらい、来てもらうきっかけをつくることが大切」と語る。
「常連さんに助けてもらっている部分もあるが、体が持つ限りは今後も続けたい」。地域から愛される銭湯をつないでいく決意だ。(陣内旭)
◇◆ プロフィル ◇◆
郷路正明(ごうろ・まさあき)1958年10月11日、広島村(現・北広島市)で生まれる。苫小牧浴場組合の組合長として、変わり種湯や各種イベントを企画。住吉泉町内会の会長も務めており、昨年は4年ぶりに夏祭りや文化祭などを再開した。苫小牧市泉町在住。