アイヌ民族文化伝承者、宇梶静江さん(89)の講演会が23日、白老町東町の文化施設シマフクロウの家で開かれた。町内外から参加した13人が、宇梶さん自身が語る半生に聞き入った。
宇梶さんは2021年11月、白老町に移住。施設は宇梶さんが代表を務める一般社団法人アイヌ力(ぢから)の活動拠点で、音楽コンサートや料理教室などが開かれている。
講演は、1933年3月に浦河町で誕生し、幼少期は貧しく、和人からの過酷な差別に苦しんだ話から始まった。20歳で学業を志して札幌市内の私立中学に入学。3年かけて卒業した後、父が工面してくれた2万円を握り締め、56年3月に23歳で上京。27歳で和人の建築家と結婚し、俳優の宇梶剛士さんら2児を生み育てたという。
72年、朝日新聞「ひととき欄」に「ウタリたちよ手をつなごう」という文章を投稿して話題となり、翌73年に東京ウタリ会が創立されて会長に就任したことなども語られた。
幼少期を振り返り、「提案しても(案を)通してくれず、作文にしても(他の子のように)張り出してくれない」と訴え、「(和人は)諦めさせることを覚えさせようとしたが、私は諦めなかった」と語気を強めた。自身の活動について「自然の恵みに感謝し、誰にも分け隔てなくその恵みを分かち合ってきたアイヌの心、アイヌの言葉の重みを伝えていきたい」と思いを語った。
また、質問に答える形で白老について「町民は和人やアイヌに関わらずみんな優しい。この夏は、海を見に浜を歩くのが楽しみだった」と笑顔を見せた。
参加した白老アイヌ協会理事長の山丸和幸さん(74)は「今後も静江さんの思いや活動を支えていきたい」と話していた。