日本通運苫小牧 今月末で休部へ―高齢化などでチーム維持困難〔社会人軟式野球〕

  • スポーツ, 野球
  • 2021年12月2日

 軟式野球の日本通運苫小牧が今月末で休部することになった。1950年代に結成された伝統あるチームだったが、高齢化などチームの維持が困難になったため、活動に幕を下ろすことになった。

 日本通運苫小牧は準硬式野球チーム「苫小牧日通」として50年代前半に創立された。55年には福島県で開かれた第6回東日本準硬式野球大会に北海道代表として出場するなど、結成当初から強豪ぶりを見せていた。

 70年代に入ると軟式野球チームにくら替えし「北旺運輸」に改称。79年には同運輸のメンバーと日本通運苫小牧支店の事務職員を中心とした「日通ペリカンズ」として引き継がれた。

 90年代半ばまでに同支店の運転手が中心の「日通トラッカーズ」、リフト操縦者による「日通リフトマンズ」も順次結成され、3チーム体制に拡大。97年に3チームが統合して現在の日本通運苫小牧の形となった。

 野球を楽しむことを最大のモットーに掲げ、試合ではベンチ入り選手全員が試合に出場する「ルール」があった。伊藤裕文選手兼監督(57)は「勝ち負け以上に野球を通じた交流を大事にしてきた」と話す。

 チームとして最後に臨んだ大会は今年10月に苫小牧市で開かれた第6回北海道ベースボールショップ軟式野球大会。道内8チームが出場し、トーナメント戦が行われた。日本通運苫小牧は決勝で薄田測量フェニックスに0―2で惜しくも敗れて準優勝だった。

 20年以上在籍する吉田雅詞主将(43)は投手としてチームをけん引してきた。ベースボールショップ大会では捕手として出場した長男の悠人(21)とのバッテリーも実現。「最後に息子とバッテリーを組めたことは思い出。このチームだからこそできたことだと思う」と語った。

 最年長の成田昭一(61)は走塁コーチや代打出場でチームに貢献してきた。「野球を純粋に楽しむことができた。若手からベテランまで世代間の交流ができるチームだった」と惜しんだ。

 同支店業務推進課の社員らはマネジャーやスコアラーを担うなど活動を支えた。伊藤選手兼監督は「社内の支援もあってここまで続けることができた。感謝したい」と語った。

こんな記事も読まれています

    •  陸上の世界選手権東京大会は日、東京・国立競技場で開幕し、キロ競歩で男子の勝木隼人(自衛隊)が2時間分秒で自身初メダルとなる銅を獲得した。今大会の日本勢のメダル第1号。川野将虎(旭化成)は位、

    • 2025年9月13日スポーツ, 速報記事, 陸上
    •  陸上の世界選手権東京大会は日、東京・国立競技場で開幕し、キロ競歩で男子の勝木隼人(自衛隊)が2時間分秒で自身初メダルとなる銅を獲得した。今大会の日本勢のメダル第1号。川野将虎(旭化成)は位、

    • 2025年9月13日速報記事
    •  【サンフランシスコ時事】米大リーグは日、各地で行われ、ドジャースの大谷はジャイアンツ戦に1番指名打者(DH)で出場し、第3打席まで無安打だった。同僚の山本は先発し、五回まで1失点。

       エンゼルス

    • 2025年9月13日速報記事
    •  【サンフランシスコ時事】米大リーグは日、各地で行われ、ドジャースの山本はジャイアンツ戦に先発し、7回を投げて1安打1失点、奪三振と好投した。勝敗はつかなかった。同僚の大谷は1番指名打者(DH)で

    • 2025年9月13日速報記事
  • テスト()

       (1山田)(2高田)(3田中) 9月12日死去。通夜9月14日午後6時から、葬儀9月15日午前9時30分から、ベルコ苫小牧シティホール(苫小牧市木場町1苫小牧駅北口隣接、電話37-4444)で。喪主 阿㘴上 憲春(やま

    • 2025年9月13日
  • やいのやいの
    やいのやいの
ニュースカレンダー

紙面ビューアー