白老町竹浦の旧竹浦小学校の校舎に古くて大きな姿見が置かれたままになっていた。130年以上の歴史を持つ同校のいつの時代からあった鏡なのか、今では誰も分からない。しかし、住民らは、昔から子どもたちを見守り続けた姿見を地域の宝として後世に残そうと、14日に竹浦コミュニティセンターへ移設した。
台座付きの姿見は高さ1・75メートル、幅1・1メートルの大きさ。鏡には菊の花などを描いた見事な装飾の木枠が取り付けられている。木枠は劣化し色あせているものの、金色に塗られていた痕跡があり、かなり豪華で高価な品だったとみられる。
同校は1888(明治21)年に開校。校舎の移転を繰り返し、1928(昭和3)年、現在の旧竹浦小がある場所に木造の校舎を設けた。その後、現地で鉄筋コンクリートの新校舎に改築。施設の老朽化が進んだため、2015年には旧竹浦中学校跡へ移転した。
そうした歴史の中で、姿見がいつ頃から学校にあったのか定かではない。終戦から2年後の1947年に同校を卒業した加藤正恭さん(87)=竹浦在住=によると、戦時中の入学時には既に木造校舎の玄関ホールに置かれていたという。
加藤さんは「姿見の前に毎朝、校長が立ち、登校してきた児童に声を掛けていた」と回想し、「少なくても100年近くたった鏡ではないか。割れた形跡がなく、かつては大事に引き継がれたのだろう」と話す。
姿見は、校舎が現在地へ移転した際、旧校舎に置かれたままになり、その存在も住民から次第に忘れ去られようとしていた。しかし、竹浦青少年健全育成委員会(岩●【c59c】和典会長)の関係者らが「姿見を地域の宝として後世に引き継ぎたい」と考え、竹浦コミセンへ移設することにした。
同委員会は住民に呼び掛けて、14日に移設作業を実施。地域の子どもたちが大きな姿見を手に持ち、旧竹浦小から竹浦コミセンへ懸命に運んだ。加藤さんはコミセンで再会を果たした姿見に目を細め、「この鏡が将来にわたって大切に守られていけばと思う」と感慨深げに話した。
同委員会は、姿見を竹浦コミセンの生涯学習室に飾り、いずれ現在の竹浦小校舎に置きたい考えだ。岩●【c59c】会長は「古くから竹浦地区の子どもたちの姿を映してきた鏡。地域の歴史の証人として大事にしていきたい」と言う。