昭和は「激動の時代」と形容される。ならば平成は「変容の時代」か。昭和が培ってきた政治、経済、社会、生活が大きく変わり、グローバル化、ネット社会、少子高齢化という新たな情勢の中で、地方は街づくりに苦悩した。わが郷土はその時代をどう生き抜いてきたのか。創刊75周年を迎えた苫民紙面を中心に平成の30年間を振り返り、今に生かす材料を探そうというのがこの企画の狙いである。第1部は「バブルと崩壊の中で」。(随時掲載します)
■骨組みだけのビル
平成元年初夏、苫小牧市新中野町2の国道沿いで、一つの建物が解体された。
列島改造と初期苫東開発の景気がピークだった昭和48年、いよいよ需要が高まると思われた店舗・事務所として着工したこの建物は、地上10階(一部13階)地下2階。地上43メートル。この年完成したホテルビバリートム、ホテルニュー王子などと共に高層建築群を成すはずであった。
■挫折、停滞、見直し
このビルの着工直後、第1次オイルショックが襲った。これをきっかけに重厚長大の苫東計画が停滞し、歩調を合わせるようにビルの工事も鉄骨組みが出来上がったところで中断された。以来、ビルは赤さびた骨組みだけの姿をさらし続け、人々は「ガイコツビル」と呼んだ。実に列島改造と苫東計画、その挫折、停滞、見直しを体現したような建物であった。
平成元年、それが、一切を清算するように解体され、新しい時代の到来を思わせた。
■バブルのにぎわい
平成元年の苫小牧は活気に満ちていた。本州からバブル景気の風が吹き込んでくる。昭和57年に完成した苫小牧駅舎にはまだ新築の面影があり、駅前サンプラザはにぎわいの中心。12階建ての堂々たる市役所新庁舎が昭和58年にでき、その後、博物館、図書館が立て続けに完成した。
駅北口に直結してわが国初の屋内レジャー施設ファンタジードームが着工したのは平成元年のことだ。翌2年にはジェットコースターがごう音を響かせる。好景気はいつまでも続くと思える平成の幕開けであった。
(一耕社・新沼友啓)
《平成元年施設関連メモ》 産業会館解体(昭和29年建設)/旧高松歯科医院解体(大正10年建設)/苫小牧西港石炭公共臨海線撤去(昭和38年完成)/Aコープビル売却(昭和49年建設)/はまなす跨線橋開通(市道糸井東大通)