鵡川高校野球部OBで2009年のセンバツ甲子園に主将として出場した森泰一さん(28)が今春、むかわ町職員として採用され、母校野球部のコーチに就任した。会社員から一転し、指導者として帰ってきた。新たなスタートを前に「子どもたちに良いきっかけをつくってあげられる指導者になりたい。全国に鵡川高校の名前を知ってもらうための力になれたら」と決意を語る。
日高町出身で中学時代は苫小牧リトルシニアに所属。鵡川高に入るきっかけになったのは、富川中時代に昨年8月に亡くなった恩師の佐藤茂富さん(享年79)が実家のラーメン店を訪れたことから。親を介して体験練習に参加し、「好きなバッティングをとことんできるのが魅力」と心を揺さぶられ、入学を決めた。
2年の秋から主将を務め、誰よりも大きな声を張り上げ、チームを引っ張った。「足も遅かったので、バッティングを生かさないとレギュラーにはなれない」と持ち味の打撃を磨き上げ、強力クリーンアップの一角を担った。全道大会を怒とうの勢いで勝ち上がり、翌春のセンバツ甲子園出場をたぐり寄せ、甲子園では現在米大リーグ・シアトルマリナーズで活躍する菊池雄星投手を擁する花巻東(岩手県)と対戦した。
そして何より寮生活を通じて目配り、気配りなど生きていく上で大切なことをたたき込まれた。「(佐藤さんは)言葉少なく、大ざっぱに見えて実は繊細な方だった。あの時は分からなかったけれど、自主性というか、良い選手を見て、自分から学ばなければならないということを後になって感じた」と振り返る。
その後、青森大を経て日高町にある競馬運営に携わる会社に就職。胆振東部地震があった際には職場が1週間ほど断水したほか、実家のラーメン店も食器などが散乱する被害を受けた。高校3年間を過ごした寮が更地になったのを見た時には「感慨深いものがあった。声が出なかった」という。そうした中で昨年春、以前から親交のあった鬼海将一監督(35)からコーチの依頼を受けた。
決断は簡単ではなかった。大学時代に出会って結婚した妻と幼い子ども2人と離れて生活をすることになる。負担も掛けることになる。仕事のことも考えると、「この決断は周りの人に迷惑を掛けることになる。家族以外に相談できず、苦しい時期だった」と言う。ただ、スタッフとかつてソフトボール競技者だった妻の理解が後押しとなり、腹をくくった。「もともとやりたかった仕事。なかなかできるものではない」―。家族と住宅の事情を踏まえて苫小牧へ引っ越し、自身はむかわと苫小牧を行き来して最大限尽くすことにした。
「むかわでお世話になって、また携わることができるのはうれしいし、同時に責任も感じる」と今の心境を語る森さん。母校の甲子園出場だけではなく、これから関わる生徒たちの今後につながるような指導を心掛ける。「鵡川を選んで頑張ってくれている子たち。指導者としては未経験なのでいきなり指導はできないかもしれないが、その子のきっかけになるようなサポートをしていきたい」と笑顔で話す。後輩たちを導き、共に新しい歴史をつくっていく。