闘将 佐藤茂富氏を悼む(4)「茂富イズム」次代に—鵡川高野球部監督・鬼海将一氏

  • スポーツ, 野球
  • 2019年11月1日
現役時代のノートを手にする鬼海氏
現役時代のノートを手にする鬼海氏
選手時代の鬼海投手の投球練習を見守る佐藤氏=2002年3月
選手時代の鬼海投手の投球練習を見守る佐藤氏=2002年3月

  突然の出会いが人生を大きく変えた。「よし! キャッチボールするぞ」。当時中学3年生だった鬼海将一氏(35)が住む新冠町の自宅を訪ねてきたのは、鵡川高野球部の佐藤茂富監督と小池啓之部長。言われるがままに小池部長と投球、捕球を繰り返す。「いいボールだ」。佐藤監督の弾むような声が何度も聞こえた。「唯一、佐藤先生に褒められた時間でしたね」と鬼海氏は笑顔で振り返る。

   「この人のところに行けば、自分が変われる気がした」。単に野球がうまくなりたい、甲子園に行きたいという思いからではない。同氏の人柄、魅力に引き込まれ鵡川への入学を決意した。

   3年間、寝食を共にした。鵡川が掲げる元気、本気、一気の「三気野球」は説明されずとも、佐藤氏の日々の言動、振る舞いから読み取っていった。「なんでも一生懸命に、決めたことをぶれずにやり切る」。徹底した。

   現役時代、佐藤氏との唯一の会話とも言えたのが、野球ノート、いや人生ノートだ。表題に野球日記と書いた際、「野球じゃねぇ」と指摘され、慌ててタイトルを変えたのを懐かしむ。計8冊に及んだ掛け合いの中には、「頭では理解しても実践しなくては、ほんとうに理解した事にはならないのだ。学習し、行動し、総括する。人間しかしない、出来ない事だ」「凡庸の教師はただしゃべる。いい教師は説明する。優れた教師はやってみせる。卓越した教師は人の心に灯をつける」(原文)。指導者となった今でも読み返し、糧にしている宝物だ。

   「人を育てる指導者になりなさい」。佐藤氏に背中を押され、大学卒業後に道内外の高校、大学でコーチ経験を積んだ。2014年3月、母校の総監督だった佐藤氏が勇退すると知り、母校に行くことを決意。寮の朝清掃から声出し、炊飯まですべて率先して取り組み、「茂富イズム」を次代に吹き込んできた。

   昨秋、胆振東部地震の被災を乗り越え、チームは今夏、秋の室蘭支部予選を相次いで突破した。佐藤氏は、秋の鵡川の勇姿を見届けることなく急逝。「俺はもういない。今度は自分でやらないといかんぞ」。恩師から最後の喝を入れられた気がした。

   自身の境遇を「守破離」の思想で表現する。佐藤氏の教えを忠実に表現してきたこれまで。「ここから自分の力が試されるとき」。鬼海氏の表情が引き締まった。

  (おわり)

   ※この企画は北畠授が担当しました。

  —鬼海将一

   1984年、新冠町生まれ。鵡川高2年時の2002年に春のセンバツ甲子園出場を果たしたエース右腕。筑波大卒業後、全国各地の強豪校でコーチ経験を経て2014年春から母校のコーチ。17年夏から監督を務めている。

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