プロ野球の巨人、米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんにとって、「監督」と言えば長嶋茂雄さんだった。1993年の巨人入団からマンツーマン指導で日本を代表する強打者に育て上げられた、いわゆる「1000日計画」。渡米後も、手術を受けた膝の状態などを気遣ってくれた長嶋さんを「人生の師匠」と言い切る。
92年11月のドラフト会議。サッカーのJリーグが開幕を翌年5月に控え、大相撲では「若貴兄弟」の台頭で空前のブームが巻き起こっていた。プロ野球に世間の関心が薄れそうになる中、長嶋さんは甲子園を沸かせたヒーローを4球団による競合抽選で引き当てた。師弟の歩みが始まった。
長嶋さんの自宅、遠征先などで松井さんは毎日のようにバットを振った。「練習、努力をしないと、いい選手には近づかない」との思いから。空気を切り裂くスイングの音に耳を傾けた師匠は、自分が納得するまで繰り返させた。
2000年。4番の座を誰にも譲らなかった松井さんは本塁打、打点の2冠に輝く。長嶋さんにとって最後の日本一に貢献して恩に報いた。
03年のヤンキース入り後も、国際電話越しにスイングの音の確認があったという。沈む速球などに苦しみ、メジャーの洗礼を浴びた時期も経験。それだけに心強かったことだろう。
04年3月、師が脳梗塞で倒れ入院。松井さんは心を痛めた。「僕が活躍するのが一番うれしいだろうし、一番の恩返しになる」。09年の開幕戦で長嶋さんの通算本塁打数444本を抜くと、試合後に報告。ロッカールームでは恩師について書かれた原稿を読み込み、病状などの近況について話題が出るたび、感極まった表情で応じたのが印象的だった。
引退後の13年、長嶋さんと国民栄誉賞を同時授与された。「これからも監督の背中を追い続けたいし、そのきっかけを頂いた」。固い絆で日本の野球をリードし、多くのファンに愛された師弟だった。