被害者支援は「事件後の人生も」 給付金支給に奔走 当時の警視庁担当者

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  • 2025年6月9日

 東京・秋葉原の歩行者天国で17人が無差別に殺傷された事件は、8日で発生から17年となった。警視庁企画課の奥田暁宏警視(55)は当時、犯罪被害者支援室の職員として、20代の男性被害者の支援を担当した。「被害者の事件後の人生について深く考えた事件だった」と振り返る。

 事件が起きたのは日曜日の昼下がりだった。自宅近くで息子とサッカーをしていたが、上司からの電話で事件を知り、捜査本部がある万世橋署に駆け付けた。

 警視庁はこの事件で初めて、遺族や被害者をケアする支援本部を設置した。支援室からは職員の半数が投入され、隣接署の署員らと44人態勢で対応に当たった。

 奥田さんは3日間、署に泊まり込み、遺族らの待機室設置や病院への送迎などに奔走した。

 遺族に同行し、近くに設けられた遺体安置所も訪れた。ひつぎが並ぶ部屋におえつが響き、泣き崩れる家族がいた。夫を失った女性は、幼い息子が号泣する横で放心状態になっていた。「かける言葉が見つからなかった」という。

 その後、刺されて重傷を負った被害者の一人で、派遣社員の20代男性への犯罪被害者給付金の支給業務を担当した。

 男性は事件後、仕事を辞めて都内の自宅にこもり、誰とも会わなくなっていた。「少しでも生活の支えになれば」と給付金の受給手続きのため、何度も男性宅に通った。

 しかし、何度声をかけても、家の中から応答はなかった。「人と会うのが怖くなっている。東京にいても事件を思い出すだけだ」と感じた。広島県の実家で生活を立て直した方が良いと考え、両親に連絡を取った。

 両親の説得もあり、男性は事件から約1年後、実家に戻った。数カ月して両親から「仕事に就くために努力している。奥田さんが言ってくれたからだ」と感謝の言葉が寄せられた。

 男性の近況が気になることもあったが「事件を思い出すきっかけになる」と思い、その後、会うことはなかった。

 奥田さんはいま、犯罪被害者支援について、各地の警察署や警察学校で自分の経験を後輩らに伝えている。「将来の道しるべをつけられるような支援の大切さを伝えていきたい」と話した。

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