「巨人は嫌いでも、長嶋茂雄は好き」という人は多かった。球界を代表する顔として「ミスター」と称される一方で、気取らない性格から親しみを込めて「チョー(長)さん」とも呼ばれた。
常識を超えたエピソードには事欠かない。長男の一茂が幼いころ、後楽園球場に連れてきたことを忘れて、試合後にそのまま帰宅してしまった。試合前にソックスが一つしかないと大騒ぎしていたら、同じ足に二つ履いていた…。
野球に集中するあまり、周囲が見えなくなることがよくあった。監督時代、自ら送り出した投手がピンチを迎えると、ベンチで「危ないな。打たれそうだな」。勝負の現場では笑い事で済まない話も、ファンはその人間臭さに魅了された。
これほど愛されたのは、本人がファンを大切にし続けたからだろう。ある試合で、空振り三振してヘルメットが激しく飛んだ時、観客が大喜びした。「ヒットを打つだけじゃなく、三振でも喜ばせられるんだ」。それからヘルメットの大きさや、飛ばし方まで研究した話は有名だ。
最初の監督時代にこんな話もある。2人の若手投手が逃げの投球をして打ち込まれた。宿舎で長嶋監督に厳しく叱責されたが、最初に投げつけられた言葉は「ファンに申し訳ないと思わないのか」だった。2人は後にエースになった。
引退後も運動と節制に努め、現役時代と同じ体形を維持した「ミスター」。巨人監督としての終わり頃、視力は相当落ちていたが、眼鏡は人前でかけなかった。ファンが持つ「長嶋茂雄」のイメージを壊したくない、いつまでも若々しい姿を見せよう、と念じ続けた。
他人の批判だけでなく、巨人の選手の批判も口にしなかった。幼い頃から母ちよに「他人のせいにしてはいけない、他人の悪口を言ってはいけない」と何度も言われたという。顔も知らない若い記者のつたない質問にも、きちんと答えた。澄んだとび色の瞳で、相手の目を見ながら。(敬称略)