「戦争と女の顔」でカンヌ国際映画祭ある視点部門の監督賞などを獲得したカンテミール・バラーゴフ監督=2019年、仏カンヌ(AFP時事) ロシア出身のカンテミール・バラーゴフ監督の映画「戦争と女の顔」(2019年)は、1945年秋のレニングラード(現サンクトペテルブルク)を舞台にしている。2年半もの間、ドイツ軍の壮絶な包囲戦にさらされたこの町で、戦後の生活を始めようとしている元女性兵マーシャとイーヤの、痛みに満ちた物語である。
二人は共に高射砲兵として男性に伍(ご)して戦い、心身に深い傷を負った。マーシャは幼い息子をイーヤに預け、ベルリンまで進軍したが、その間にイーヤは発作を起こし、それが原因でその子を死なせてしまう。
二度と子供のできない体になったマーシャは、自分の代わりに子供を産んでほしいとイーヤに頼む。子供を生きるよりどころにしようというのだ。しかし妊娠はうまくいかない。一方イーヤはマーシャに恋心を抱いている。二人のもつれあう感情、救いを求める切実さ、トラウマを抱えて生きていく困難を思うと、やるせなさで胸がふさぐ。
才能ある若手監督バラーゴフは、ノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの証言文学「戦争は女の顔をしていない」(85年)にインスピレーションを受けたという。そこに収められた生々しい証言の一つに、ディテールの肉付けをしたのがこの映画なのである。
アレクシエーヴィチの本の中で、ある証言者がこう語っている。「男たちは戦争に勝って英雄となり理想の花婿になったが、女たちに向けられた眼は全く違っていた」と。百万人以上いたといわれる女性兵士たちは差別され、黙らされ、その記憶は歴史のかなたに追いやられた。その証言者は「もう誰も二度と戦争を欲するものはないという気がしていた」とも述べている。
バラーゴフの映画は、踏みにじられた女性兵たちの心をその後長らくさいなむであろうトラウマと、彼女たちの魂の叫びを、独創的な身体描写や象徴的な色彩で見事に表現している。
監督は、ロシアがウクライナへの侵攻を開始した直後の22年3月、「私たちの心はウクライナおよびこの悪夢に反対しているロシアの人々とともにある」とSNSに公表してロシアを去った。
(沼野恭子・東京外国語大学名誉教授)