役者絵「扇音仝大岡政談(おうぎびょうしおおおかせいだん)」豊原国周(東京都立図書館)
大江戸八百八町の治安を守ったのは、町奉行、与力、同心といった国家公務員だった。
町奉行は、南町・北町奉行所に1人ずついて1カ月ごとの交代制。実働と事務処理を交互に行う。その役目は重く、現代の警視総監と最高裁判所長官と、消防庁長官、東京都知事を一つにしたような職務だ。テレビの時代劇でおなじみの江戸町奉行「大岡越前」も「遠山の金さん」も、時期は違えど実在の人物だ。
「八丁堀の旦那」の通り名で親しまれたのは、八丁堀(現在の中央区)の組屋敷に住む与力と同心。町奉行直属の部下が与力で、各奉行所に25人ずつ。騎馬が許され、火消し、力士と並び「江戸三男(さんおとこ)」と呼ばれるほどモテた。
与力の下の同心は約120人ずつ。同心の手下の「岡っ引き」は俗称で、同心が私的に雇って仕事を手伝わせていた。
これだけの人数で、100万人都市を守れたのには理由がある。表通りの町境ごとに「自身番」と呼ばれる交番と、「木戸番」と呼ばれる門番が設けられていたからだ。
町人によって運営され、自身番には大家などが詰め、木戸番は門番が住み込んだ。木戸番は朝6時ごろと夜10時ごろに門を開閉するのが役目だが、日中は番小屋でわらじや紙、駄菓子などを販売してもよく、簡素なコンビニと言ったところ。
不審者が侵入すると、まずは木戸番で止められ、自身番で調査され、いよいよ怪しいとなると同心を呼んだり、奉行所に突き出したりする。また住人の中に犯罪者が出ると、連座制で全体責任とされるため、トラブルが起きぬよう、互いに目を配り助け合う。人に無関心になりようがないのだ。
現代と違い、容疑者はお裁きが下るのを待つ間、牢屋(ろうや)に入れられる。賄賂がないと牢名主(牢内を取り締まる囚人の長)によるいじめがすさまじく、喜多川歌麿らはそのせいで寿命を縮めたと言われている。
(車浮代・時代小説家)