石川県の漁師だった高祖父は春になると、帆掛け船で日本海を北上し小樽↓羽幌↓抜海(稚内)の順に道内沿岸を移動した。戦前の話だ。一家は戦後、稚内を拠点にホタテ漁を手掛けたが1948年の組合発足に伴う海区分割で好漁場・猿払で漁ができなくなると「コンブを中心にニシン、エビ、ツブ、ウニ、ナマコなど何でも取った」と亡祖父は語っていた。20年前に88歳で廃業するまで主力はコンブだったが、高級食材として中国の引き合いが絶えないイボ立ちの良いナマコを有望視。近年、稚内漁協はナマコ漁によって若手後継者が育っているという。
このほど、苫小牧の元中国料理人Tさんにナマコの煮物をごちそうになった。深い味わいと、原形が残る大ぶりの身。揚げ出しナスのようにぶつ切りにしたナマコに、一家で唯一舌鼓を打っていた祖父の横顔を思い出した。Tさんは「昔は見た目で食欲が湧かないと、箸も付けず下げてくれと言う客もいた」と話すが最近は広く受け入れられるようになった。
稚内は全道一のナマコ水揚げ量を誇るまちになったが、東京電力福島第1原発の処理水海洋放出に反発する中国が日本産水産物の輸入を停止して1年になる。安全性などとは別の問題で流通が滞っているとすれば、何とも歯がゆい。(輝)