17日付本紙最終面、天気欄の「概況」に苫小牧市で53年前の1971年8月18日に記録された8月の最低気温、9・2度が紹介されていた。苫小牧で8月に1桁の最低気温を観測したのは過去3回だけといわれ79年8月25日の9・8度以降には、1回も観測されていないそうだ。観測の数値は、いずれも、苫小牧測候所が、まだ矢代町の3条通り沿いや、しらかば町の付近にあった当時のことだ。
冷夏ぶりはすさまじかったようだが、貧乏サラリーマンの記憶に残っている気象関係の情報としては、この少し後、1981年の多雨被害の方が大きい。「56(昭和56年)洪水」が全道各地を襲い、千歳川流域や胆振、日高地区にも大きな爪痕を残した。農業や交通機関の被害の大きさ、長く続いた千歳川放水路計画の検討作業の取材、安易に「異常気象」という言葉を使いがちなマスコミの気象報道への批判の大きさ―を、忘れない。
さて、2024年も8月下旬。「危険な暑さ」という恐ろしい言葉が響き続けた夏も終盤。テレビに映る本州方面の気温の予想地図は、まだ紫や赤の危険な色に覆われているが、北海道では蹴り飛ばした薄い掛け布団を脚で探す場面も何度か。けさの新聞の折り込みチラシには灯油ストーブの写真が並んでいた。(水)