なんともないよ

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年5月27日

  「えーと、このあいだの血液検査の結果なんですが、貧血がありますね。あと腎臓も少し弱っているようで、その原因をもう少し調べる必要が…」

   「先生、もう90歳ですからね、トシってことですよ。私は今年も畑仕事ができてるから、これでいいんです」

   こんな会話を今年も何人かと交わした。そのつど私は、改めて目の前に座っているその人に目をやり、「ホントだ。顔色もいいし、お元気そうですものね」と言って大笑い。

   医者をやっているとつい、血液やレントゲンなどの検査データに頼ってしまい、少しでも異常があると「検査して原因を突き止め、必要な治療をしなくては」という気になる。

   でも、特に高齢の人たちの場合、いちばん大切なのは「本人が元気かどうか」だ。本人が「具合が悪いところはない」と言うなら、多少のデータ異常は問題にならないことが多いはずなのだ。穂別で診療を始めて、そんな基本的なことに改めて気付かされる。

   春が来て、今年も大勢の人たちが花づくり、野菜づくりを始めた。その人たちは、毎年のように作業をしながら、「よし、いつも通り動けるな」「去年より腰が痛いな」「今年はなんだかめまいがするぞ」と自分のからだと対話している。

   そして、「これはちょっと診てもらった方がいいな」と思ったら、診療所にやって来る。その感覚に間違いはない。「自分にとっての名医は自分」ということだ。

   都会に住んでいると、だんだんその勘が鈍ってくる。「いつもなんだかダルい」という人が多く、いま自分が健康なのか不調なのかもはっきりしない。だからどうしても、たくさん検査を受けて数値や画像で自分をチェックしてもらわなければならなくなるのだ。

   「先生、トシなだけだよ。私どこもなんともないよ」と話したある高齢者の女性に、「そうね。あなたがそう言うなら、そうだと思う」と伝えると、彼女はニッコリ笑ってバッグから入れ物を取り出した。

   「これ、きょう採ってゆでてきたウド。私がひとりで植えたんだよ。食べてみて。おいしかったらまた持ってくるよ」

   すごい。私よりずっと元気だし、やる気もある。手にしていた血液検査の結果の紙をビリビリと破りたくなった。穂別の高齢者たちを前にすると、なんだか新米の医者に戻ったような気分になる私である。

  (むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)

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