襟裳岬で塹壕の 痕跡を踏査 町郷土資料館北緯42度の会

  • ニュース, 白老・胆振東部・日高
  • 2022年12月7日

 えりも町郷土資料館北緯42度の会(草野一郎会長)はこのほど、太平洋戦争中の1944年ごろ、旧日本軍が襟裳岬西側段丘地帯に造った塹壕(ざんごう)の痕跡を踏査した。

 襟裳岬周辺の塹壕は戦時中、百人浜などへの米軍上陸を想定して造られた。歩兵守備隊が敵弾から身を守りながら移動したり、迎撃したりする深さ1~1・5メートルの溝で、地域住民も勤労奉仕で掘削に従事した。

 踏査には、会員10人と同資料館の高木大稔学芸員が参加。地元に住む南一雄さん(83)の先導で段丘地帯に入り、くねくねと蛇行する塹壕跡3カ所を確認。2カ所でコンクリートの台座らしきものを発見したが、南さんは「海上監視塔の跡ではないか」と推察した。

 終戦時に5歳だった南さんは「現在の風の館付近に海軍の監視所があった。陸軍は米軍上陸に備えて襟裳国民学校を仮兵舎にしていた」と当時を説明した。

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