信は力なり―。苫小牧東地区の少年野球チーム美園スラッガーズが今年、発足50年の節目を迎えた。市内の少年野球チームを束ねた苫小牧少年野球協会(現苫小牧スポーツ少年団野球専門部会)設立時の登録「1期生」で、唯一歩みを止めなかった最古参。少子化やスポーツ多様化の荒波にのまれ、近年は合同での公式戦出場を余儀なくされてきたが来春以降の単独出場を目指し地道に活動を続けている。
産声を上げたのは1972年8月。チーム名は部員内で募集し、強打者を意味する英語のスラッガーから名付けた。一区シンコーズ、住吉ライオンズ、北光スターズなど苫少年野球協会の初期登録チームが次々解散、合併する中、美園は存在感を発揮してきた。1991年に全道大会を制し全日本学童大会初出場で16強入り。2005年には地元苫小牧開催の南北海道大会で優勝し2度目の全国挑戦。市内、道内の各種大会タイトルも数多く勝ち取ってきた。
「当時は3年生からしか入団できなかったが、それでも50人近く選手が在籍していた」と言うのは高橋佑介コーチ(41)。1992年度の卒団生で、息子の入団を機に9年前から指導に携わる。「技術よりも、あいさつや道具を大切に扱うなど人間育成の厳しさが根底にあった」
2005年夏の甲子園で連覇した駒大苫小牧高の主力で、美園時代は主将だった1999年度卒の青地祐司さん(35)は「信は力なり、獅子あざむかざるの心、吾唯足るを知る―のチームポリシーなどを学ぶ人間教育的な座学があった。それは今の人生に生きている」と語る。
2014年からは団員減少で単独出場ができない植苗バッファローズに手を差し伸べた。小学3年から美園の一員になり、6年時の17年にはプロ野球日本ハムのジュニアチーム入りを果たした大石龍之介(駒大苫高2年)は「野球の基礎をつくってもらった場所」と懐かしんだ。
2010年代は十数人の団員推移で活動していたが、新型コロナウイルス禍の20年度以降は1桁台となり単独出場が不可能になった。同じ市内東地区で団員不足にあえいでいた末広アトムズと合同を組み活動。今季は東胆振19チームが集結した5月の大会で3位入賞し、7月のスタルヒン杯全道大会(旭川)にも出場した。
3季連続で主将を務めた高橋鳳仙(明野)、安田悠晴(美園)の6年生が抜けた新チームは4年生以下の6人に。美園、明野の対象校区に団員募集のチラシ配布や体験会実施の呼び掛けを行っているが「児童数の減少が激しく、他競技にも流れてしまう傾向。特に美園小の児童は悠晴が卒団すると0になってしまう」と高橋コーチは嘆く。
それでも、半世紀にわたってつないできた伝統を絶やすつもりはない。単独出場を目指し、地道な周知活動を続ける構え。高橋鳳と安田は「来年は単独で出られるように頑張ってほしい」と口をそろえる。丸山太陽(明野4年)は「人数は少ないけど、みんなで協力しながら楽しく野球ができている。来年は美園のユニホームを着て試合に出たい」と願った。
美園は随時、入団生や練習体験などを受け入れている。現在は積雪まで土曜、日曜の休日に美園公園グラウンドで練習。冬季は美園小体育館で屋内練習もある。問い合わせは美園の高橋コーチ 携帯電話090(6998)1180。