軟式野球の日本通運苫小牧が今月末で休部することになった。1950年代に結成された伝統あるチームだったが、高齢化などチームの維持が困難になったため、活動に幕を下ろすことになった。
日本通運苫小牧は準硬式野球チーム「苫小牧日通」として50年代前半に創立された。55年には福島県で開かれた第6回東日本準硬式野球大会に北海道代表として出場するなど、結成当初から強豪ぶりを見せていた。
70年代に入ると軟式野球チームにくら替えし「北旺運輸」に改称。79年には同運輸のメンバーと日本通運苫小牧支店の事務職員を中心とした「日通ペリカンズ」として引き継がれた。
90年代半ばまでに同支店の運転手が中心の「日通トラッカーズ」、リフト操縦者による「日通リフトマンズ」も順次結成され、3チーム体制に拡大。97年に3チームが統合して現在の日本通運苫小牧の形となった。
野球を楽しむことを最大のモットーに掲げ、試合ではベンチ入り選手全員が試合に出場する「ルール」があった。伊藤裕文選手兼監督(57)は「勝ち負け以上に野球を通じた交流を大事にしてきた」と話す。
チームとして最後に臨んだ大会は今年10月に苫小牧市で開かれた第6回北海道ベースボールショップ軟式野球大会。道内8チームが出場し、トーナメント戦が行われた。日本通運苫小牧は決勝で薄田測量フェニックスに0―2で惜しくも敗れて準優勝だった。
20年以上在籍する吉田雅詞主将(43)は投手としてチームをけん引してきた。ベースボールショップ大会では捕手として出場した長男の悠人(21)とのバッテリーも実現。「最後に息子とバッテリーを組めたことは思い出。このチームだからこそできたことだと思う」と語った。
最年長の成田昭一(61)は走塁コーチや代打出場でチームに貢献してきた。「野球を純粋に楽しむことができた。若手からベテランまで世代間の交流ができるチームだった」と惜しんだ。
同支店業務推進課の社員らはマネジャーやスコアラーを担うなど活動を支えた。伊藤選手兼監督は「社内の支援もあってここまで続けることができた。感謝したい」と語った。