仙台藩が幕末の1856(安政3)年に築いた北方警備拠点・白老元陣屋の新たな絵図が岩手県奥州市の私設文庫で見つかり、27日に白老町の白老元陣屋資料館で公開された。絵図には元陣屋の初期の姿が描かれ、本陣や長屋など建物の広さも記されている。公開時に解説した仙台市の郷土史家・佐藤宏一さん(90)は「元陣屋に赴任していた足軽が施設の様子を藩に報告するため製作したものではないか」と推察している。
絵図は今年9月、同市の「南鱗(なんりん)文庫」(荻田耕造主宰)所蔵文献の調査で、白老元陣屋を描いたものと確認された。縦70センチ、横50センチの和紙に、敵の侵入を防ぐ土塁や堀など陣屋全体の構造、建物の位置を示した平面図で、赤や黄、青などの顔料で彩色している。
本陣や兵具蔵、勘定所、長屋、番所、武芸稽古所など各建物の寸法、土塁の高さ、堀に架かる橋や池の長さ、幅なども詳しく記載。長屋には「岩谷堂17人」と、仙台藩支藩岩谷堂(現奥州市)から赴任した足軽の人数を記しており、絵図は岩谷堂の足軽自身が描いたとみられる。足軽は兵としての任務のほか、雑役も務めていた。
白老元陣屋は、安政3年3月に用地造成が始まり、同年9月初旬に主な建物の骨組みができた。古文書には、岩谷堂の足軽17人が同年3月25日に白老を目指して出立し、4月18日に到着したことが記されていることから、陣屋建設の工事に携わったとみられる。
絵図には各施設の大きさが詳しく記載されているため、佐藤さんは「足軽が藩に戻った際、元陣屋に関する報告書に添付する図面として作成したのだろう」と言う。描いた時期は、絵図の内容などから判断して「安政3年夏から翌年春の間」と推測する。
白老元陣屋の絵図はこれまでに18点確認されているが、構造全体の詳細な図面は珍しい。他の絵図には見られない本陣近くの井戸の姿も描かれ、白老元陣屋資料館の武永真館長は「遺跡の全容を解明する上でも非常に貴重な資料だ。複製し活用したい」と話す。
白老元陣屋は、東蝦夷地(白老から根室半島にかけた北海道太平洋側と千島)の警備拠点。幕府の命令で仙台藩が構築した後、戊辰戦争が起きる1868(慶応4)年までの12年間、藩士が入れ替わりで防衛に携わった。幕末の北海道の歴史を伝える遺跡は1966年、「白老仙台藩陣屋跡」として国の史跡に指定され、保存されている。