女子アイスホッケーのミラノ・コルティナ冬季五輪最終予選(2月6日、苫小牧市―ネピアアイスアリーナ)開幕が近づく。フランス、ポーランド、中国と戦って、4大会連続出場を目指す日本代表「スマイルジャパン」。このうちの在住や出身、一時居住といった苫小牧ゆかりの代表選手たちの横顔を紹介していく。
8年前の平昌五輪最終予選は観客席で見ていた。今度は自分が選手としてリンクに立つ―。苫小牧っ子として初めて挑む憧れの舞台を前に「チーム、個人でやってきたことに自信を持っている。力を発揮したい」と意気込みを語った。
3年前の北京五輪代表入りはならなかった。同五輪4カ月前の代表候補合宿に招集されていただけに悔しい思いも味わった。所属先での試合も含めて得点が決まらずに悩んだ時期もあった。
しかし、明るさとバイタリティーで逆境を切り開き、持ち前の俊敏性とゴール勘、プレースキルをひたすら磨いてきた。今季は飯塚監督が「体を使うし、プレーにキレもある。今年は何かつかんだものがあるようだ」と評すところまで急成長を遂げた。
そんな輪島の原点は小学生当時、祖父の明村亨さんが冬に造成した”リンク”に他ならない。
自宅前の空き地に水まきして結氷させ、パックが飛び出さないようネットを張ってゴールも置いていたリンクは毎冬の祖父から孫へのプレゼントだった。「遊びながらスティックを持つ時間も増えたし、パックをコントロールするスキルもアップした」。ホッケーの基礎をつくってくれた特別な場所だった。
「(最終予選には)おじいちゃん、おばあちゃんも見に来てくれる。オリンピックに連れて行ってあげたいという気持ちが一番です」。いつも応援してくれる祖父母に最終予選で勝って五輪出場をプレゼントするつもりだ。
「FWならセンターでもウィングでも臨機応変にこなせるのが自分の強み」と笑顔で語る攻撃陣の中のユーティリティープレイヤー。昨年8月からほぼ毎月行われてきた代表候補らのユースキャンプにはその都度招集されてきた。「参加するたびに確実にレベルアップできた」と実感する。近づく本番へ仕上がりは上々な様子だ。
苫小牧出身。アイスホッケーを本格的に始めたのは小学4年。当初、男子のチームメイトからからかわれることがあると「水を掛けて仕返ししていた」と笑いながら振り返る。
そんな負けん気の強さを持っているが、幾度も挫折を味わった。5年前に左膝全十字靱帯断裂の大けがを負った。3年前は肩の脱臼でその年の北京五輪代表候補メンバーから早々に脱落した。
「けがをしたことも、代表メンバーに入れなかったことも悔しかった」と言う。けがによる競技離脱を通算2シーズン経験したが、くじけなかったのは「両親の支えがあったから」と振り返る。
治療のため入院した際には父の俊也さんは毎日一つずつ励ましの言葉を送ってくれた。母の美奈子さんは試合のたびに必ず応援に駆け付け、娘がけがなく練習を終えて帰るまでを見守っている。
「オリンピック出場は私の夢でもあり、両親の夢でもあるので」―。支えてくれた家族への思いを背負って最終予選に全力でチャレンジする。