S氏のファイト フライロッドを持って釣りをするのは……、えーと、いつ以来だったかな、と考えるほど記憶が薄い。すでに同行者たちは目当ての魚を2匹、3匹釣り上げていた。内心穏やかではない。技量が劣っているとか、決定的な差異は認めるにしても、向こうが釣れてこっちが釣れないというのはキモがやけてかなわん。そんな素振りは微塵(みじん)も見せずに「悠々と」ロッドを振る。いきなり本番は不安だったので地元の小川で5分10分キャストの練習はやってきた。体は忘れてはいなかった。キャストまでの一連の動作を無理なく行えたのを確認して練習を終えた。
ここは、玉ネギ畑の真ん中を流れてオホーツク海に注ぐ川である。アメマスが来る、スチールヘッドが来る、他のマスが来る川であるが、弱点がある。降雨だ。一定量の雨が降ると、なにせ植えたばかりの玉ネギ畑は表土がほとんどむき出しなので、畑から流れ込んだ濁水でいったん濁ったら3、4日は回復しない。釣りはお預けとなる。そんな川に5人が入った。きょう以降、雨マークなので今のうちにと言う魂胆であった。
釣れない。アタリすらない。こちらの焦りを見透かすようにあっちではハリに掛かった魚が水面を激しく跳びはねる。それをロッドワークでS氏はしのぐ。腰を落としロッドを倒して猛烈な引きに堪える。やがて岸に横たわった魚に驚く。いつもの年よりも大きくて体高がある。絶句する。なんで俺には釣れないんだ! 胸の中に叫びが響き渡る。冷静を装っているが心は修羅である、阿修羅である。なぜ、なぜ……。自問がつづく。釣れないのは耐えられる。しかし、自分だけが釣れないのは耐え難い。このまま釣りを終えたとしたら、敗残兵の惨めさを抱えたまま寝床に横にならなければならない。ああでもないこうでもない後悔とか悔しさで寝つけるはずがない。1匹でいい、釣りたい……。何が悪いのか、毛鉤(けばり)かシステムか。実釣から遠ざかり、機敏な対応ができてない、もどかしい。(農民文学賞作家)